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(教学運営ニュース)No.22. 2001年7月15日発行。 潮木守一
現代社会学部は本年度をもって完成年度を迎える。3年前に新学部として発足してから、年々新たな学生を迎え、今年度をもって1年から、四年までの全学生がそろうこととなった。さらにまた大学院「社会システム専攻」と「福祉マネジメント専攻」が、完成年次を待たずに、本年(平成13年度)から発足することとなった。本来ならば、大学院設置は学部が完成年度に達したあとになるのが普通であるが、諸般の状況を考慮に入れて、昨年(平成12年)から申請を開始し、めでたく認可をうることができた。その意味で現代社会学部は学部発足後4年をまたず、完成年次1年前にすでに完成したといってよい。
いよいよ最上級学年の学生は就職戦線にさしかかった。新設学部は先輩がおらず、就職活動に関してはきわめて不利である。他の学部の学生であれば、すでに先輩がおり、先輩からいろいろ情報やノウハウを聞くことができるが、現代社会学部の場合にはそれがない。かねてからこの隘路をどうやって克服するかが、現代社会学部の課題だった。
そこで今回導入を図ったのが、「キャリア・カウンセラー」の方式である。これは小生の古くからの知人が、長年頭のなかで温めていたアイディアである。我が大学は立地条件に恵まれており、大学周辺にはつい最近まで企業の第一線で活躍してきた人材が数多く蓄積されている。そういう人材のノウハウ、経験を活用しない手はないということで、新聞広告を使って、募集をかけたところ、わずか7名の定員のところに133名の応募があった。競争倍率20倍である。学部の入学倍率もこのぐらいになれば、苦労はないと思ったほどである。しかも応募者はいずれも一部上場企業のトップ経験者をはじめ、赫赫たる経歴の持ち主ばかりである。夏休みをかけて、書類選考、面接を積み重ね、7名の方々を選び出したが、正直いって応募してくださった全員の力を借りたいと思ったほどである。
このようにして、集まってくださった7名の方々は、企業を定年退職して間もない、元気あふれる60歳代前半の男性あり、出産・育児のために、一時家庭に戻った30歳代、40歳代の女性あり、その背景はさまざまだが、どなたも「ぜひとも今の若い世代に、自分の体験、経験を生のまま伝えたい」という気迫に満ちた方々ばかり。このほど貴重な人材が大学周辺に眠っていたのかと、改めて驚かされた次第である。
我々の期待は、こうした企業社会での先輩方に、「企業社会が求める人材とはどういうものか」、「企業に中で、評価される人材、評価されない人材とは、どのようなものか」を、これまでの体験をもとに学生に直接伝授して頂くことである。ただスタートする時、学生諸君にはっきり断っておいたことは「このカウンセラーの方々は、決してあなた達のために就職先の斡旋をしてくれる人ではない」という点である。だいたい他人に世話をして貰った就職先など、三日ももたない。就職先はあくまでも自分の実力で開拓するもの。その実力に磨きをかける手助けをしてくれるのが「キャリア・カウンセラー」の方々である。
ところで、今や女子大はかつての女子大ではない、今や急速な変身を遂げつつあるというメッセージをいかにして世間に伝えるか。我々が、全国に先駆けて新らたな試みを始めたことを、どうやって世間に知ってもらうのか。「キャリア・カウンセラー」制度を導入すること自体に、多くの苦労があったが、それ以上に苦労したのが、このメッセージをいかに社会に伝えるかであった。結果的には、朝日新聞が平成13年1月19日の夕刊で取り上げてくれたが、朝日新聞だけ狙えば記事にしてくれるなどという、そのような単純なことではない。まずは大きな網をかけ、その網を少しづつたぐりあげていって、最後にようやく朝日新聞が取り上げてくれることとなった。そこに至るまでには、いくつもの苦い体験があった。
この過程のなかで、改めて体験したことは、武蔵野女子大学の名がこれほど世間では知られていないかという1点につきる。新聞はつねに新たな大学の動きを探っている。「キャリア・カウンセラー」のアイディアは、新聞が飛びついていいはずの新機軸であるはずである。ところが、名のある大学の始めた新機軸であれば、どの新聞も取り上げてくれる。ところが無名の大学が何か新しいことを始めたといっても、誰も振り向いてくれない。めぐりめぐってようやく朝日新聞が取り上げてくれたが、一頃はほとんど絶望的だった。
この過程で学んだことは、大学の名が知られてなければ話しにならないという単純な事実である。いいかえれば、今本学に求められているのは、この本学の名前を少しでも多くの人々に知ってもらうための日常的なPRである。「何か新機軸をはじめた。さあ新聞に取り上げて貰おう」。これでは、遅すぎる。メディアとの普段の接触、日常的な情報交換、商売抜きの交流。こうした地道な蓄積なしには、この世界では通用しない。大学間の競争が熾烈になるにつれて、メディアも一私立大学の宣伝になるような記事など載せられない。メディアには公平性、公共性が求められている。そのなかを一つの大学が社会的認知を高めてゆかなければならないのだか、そう単純ではない。まず始めなければならないことは、具体的にいえば新聞の「多摩版」程度で満足するのではなく、「全国版」を狙うことである。近年の受験生、入学生をみていると、出身地域が拡大している。全国各地からきた新入生が故郷に帰って、「ああ、あの大学ね」といわれるようになる努力を傾けるべきである。我々のような小規模大学にとっては、卒業生が圧倒的に少ないだけに、その道のりは楽ではない。当分はあの手この手を工夫するしかないのであろう。