参加型学習の可能性と課題
潮木守一
1.参加型学習の二つの意味
現代社会学部の基本構想を練る時、いかにして学部としての独自性を出すかが、検討課題となった。そのためのいくつかの柱が議論の対象となったが、そのなかの一つに「参加型学習」という柱があった。この場合の「参加型学習」とは、次のような二つの意味を持っている。第一の意味とは、教室内での授業に学生をいかにして引き込み、授業の過程に「参加」させるかという課題である。多くの学生は大学に入るまで、授業とは教師のいうことを黙って聞いているものだと思い込んでいる。授業中に学生が質問をしたり、意見を述べたり、疑問を提起したりする経験をほとんどないまま大学へ入学してくる。そのため、大学の教室では二種類の「シゴ」が支配することになる。第一の「シゴ」は、しばしば大教室でおきるシゴで、辺りかまわず、隣に並んだ者同士で「私語」にふけるという意味でのシゴである。なぜ「私語」が多いのかについては諸説あるが(新堀)、これは大学での授業が高校までの授業とは異なって、150名、200名を越えるマンモス授業であり、いくら私語を交わしていても、いくら騒いでも担当教員にはどうせ名前が分かりはしないという「匿名性」が隠れみのになっていることが一番大きな理由であろう。
これに対して第二のシゴとは、大教室ではなく小人数教室を支配する「シゴ」で、10人前後という相互に自由な意見を交わすには理想的な環境になると、今度は発言者が誰もなく、「お焼香ゼミ」と化し、教室内が「死語」で支配されるという意味での「シゴ」である。この不気味な沈黙に耐え切れず、教師がさまざまな話題を切り出していると、ゼミといっても発言するのは、教師だけで、学生は普段の授業と同様、黙って教師のいうことを聞いているだけのことになる。「私語」にしろ「死語」にしろ、時間の無駄であり、莫大な資源の浪費であり、大学教育の否定である。この二つを克服することが、現在の大学の課題である。こうした現状を打破するためには、教師からの一方方向型の授業をできるだけ少なくし、教員と学生との対話を通じて、相互の意見交換に富んだ「双方向型の授業」を目指すしかない。つまり、意味のある授業を成り立たせるのは、教師一人の奮闘努力ではなく、学生達の授業へのインボルブメントとコミットメント、積極的な参加が必要である。それなしには授業は成り立たない。
現代社会学部では一年生に「現代社会の課題」という授業を設けている。この授業の狙いは、「少子化」、「社会参加」「豊かな社会の後に」などのテーマについて、「自ら進んで課題に取り組む構えを身につけ、資料の調べ方、まとめ方、口頭での発表のしかたを身につける」ことを目的としている。この授業では、学生自身があるテーマについて調べてきて、その結果を口頭で報告するのだから、リポーターに当たった学生は、何かを口頭で発表しなければならない。しかしこのレポーターの発表をめぐって、リポーター以外のものも含めて、相互の意見交換、自分の経験、考え方を述べるという意味での「参加型授業」は、なかなか成り立たない。ある学生は、「高校までこのような授業を受けたことがなく、大学になって急に大勢の人の前で、自分の意見をいえといわれても困る」というし、またある学生によると、「何か自分の意見をいってもいいが、それが他の人の意見と違ったりして、他人を傷つけたり、自分が傷ついたりするのは困る」という。したがって、折角のこの小人数教育も、発言をするのは、レポーターと教員だけ。他の学生はその対話を聞いている(聞いていないか)だけになり勝ちである。つまりここでも「参加型授業」は成り立ちにくい。
2.「社会参加」と「参加型学習」
以上が教室の中での「参加型学習」だとすれば、もう一つの意味での「参加型学習」とは、学習を単に教室内だけに限定するのではなく、教室で獲得したものを、できるだけ実際場面で活用し、さらに鍛え上げるという意味での「参加型学習」である。つまりこの場合の「参加」とは、大学の外にある社会への参加であり、現実場面への参加であり、積極的に教室の外に向けて学習の機会を探し出そうという意味での「参加型学習」である。だからこれは別の言葉を使えば「体験学習」といってもよい。これを具体的に実現するのは、ボランティア活動への参加、インターンの経験であり、場合によってはアルバイトも「社会参加を通じての学習」になりうるだろう。
それではこうした「社会活動への参加を通じての学習」は、なぜ必要なのであろうか。もともと大学での学習は、学生の側からすると、要するに「単位がとれればよい」、「できるだけ少ない時間と労力で卒業資格さえとれればよい」という形になりがちである。だから教室のなかではできるだけ指されないようにする、指されても他人と同じか、それ以下のレベルでの答えで済まそうとする。しばしば教師だけが、クラスを盛り立てるために、一人芝居を演じることになる。
クラスの雰囲気がそうなるのは、それなりの原因がある。最大の理由は、多くの場合、何かを学習するにしても、それが将来具体的な場面でどのように利用されるのか、わからないためである。その使い方がわからないまま知識・スキルが押し込まれても、なぜそれを学習しなければならないのか、納得がいかないのは当然であろう。これは恐らく、大学だけの問題ではなく、すべての学校が抱えている基本的な問題であろう。いま学ばされている知識・技術が将来どういう場面で、どういう役立ち方をするのか、それを伝えることに成功している学校は、なかなかない。それでは、教室内での学習に明確な目標と明確な動機付けを与えるにはどうしたらよいのであろうか。
3.ボランティア活動への参加
こうした発想の中から生まれたのが、「フィリピン植林ボランティア」への参加である。社会活動への参加といっても、大学生に開かれた機会は、それほど多くはない。具体的な手立てを探している時に紹介されたのが、網代正孝会長が行っている「日本フィリピンボランティア協会」であった。禿山となったフィリピンの山に、ふたたび緑を取り戻す運動を行っている現地のNGOがある。日本フィリピンボランティア協会はそのNGOに対して、精神的、財政的、活動的支援を実施している。毎年、夏には高校生、大学生、一般市民を募集して、植林を手伝う活動を続けている。この話しをききつけ、たまたま筆者が網代会長と同じ町内に住むこととなったことがきっかけとなって、武蔵野女子大学現代社会学部の学生を、この植林活動に参加させようという話しが、学部創設準備委員会で決まった。
それでは、このフィリピンの植林活動への参加は、具体的にどのように行われてきたのか、説明しておきたい。この植林活動の具体的な姿を説明すると、こうなる。まず現地(フィリピンのダバオ)に到着すると、オベンザ先生という現地の
NGOリーダーが組織してきたフィリピンの子供達、青年達のグループとの対面から始まる。はじめは知らない者同士であるから、日本人、フィリピン人で固まらないよう、それぞれのテーブルに分散して座らせる。そして同じテーブル仲間で、自己紹介を始める。当然のことながら、共通の言語は英語である。高校までの英語の授業では、できるだけ教師に指されないように逃げまわっていればよかったが、今度はそうはいかない。何かをしゃべらなければならない。これはほとんどの学生にとって始めての経験である。はじめは皆もじもじしていたが、だんだん気分がほぐれるのにつれて、会話らしきものが成立し始めた。流暢な会話とはいえないが、それでもそのうちに、ごくわずかな単語を並べただけで意思が通じることを発見する。この自分のつたない英語でも通じるのだという自信は、やがて大きな感動となり、もっと勉強すれば、もっと多くのことを語り合えるのだという実感につながるだろう。これがやがては、もっと真剣に英語を学ぼうという意欲につながることであろう。
事実、ダバオの植林センター(
CASED、Calinan Social and Ecological Development Center)に到着した時には、現地で植林活動に参加している中・高校生・大学生が我々を待ちうけてくれていた。そして数グループに分かれている彼等のなかに、日本からきた学生が入ってゆく形となった。おそらく日本人学生にとっては、英語を使わなければ意思を通い合わせないという最初の体験だったであろう。最初は戸惑いがあった。しかし、紙に名前を書いたり、住所を書いたりしているうちに、次第に和やかな雰囲気が出来上がっていった。また、この植林ツアにはいくつかの学校訪問がプログラムのなかに組み込まれていた。小・中・高校(一部大学の場合もあった)を訪問し、現地の子供・青年達との交流の機会を与えようというのが、その狙いであっる。具体的に行うのは、学生が2人1組(1人1組の場合があった)で、教室のなかに入っていって、子供達の前で、日本の昔話を題材にした紙芝居をしたり、折り紙の作り方を教えたり、日本の音楽を聞かせたり、あるいは生徒をグランドに連れ出して、まず日本の子供の遊びをやってみせ、フィリピンの子供達と一緒にゲームをする。それから、これに似たような遊びがフィリピンにもあるのだろうから、それをやって見せてもらう。文化交流とはギブ・アンド・テイクの関係が必要で、まず日本を紹介し、それをきっかけにフィリピンの文化を教えてもらう。これが我々が「プレゼンテイション」と名づけたものである。
4.参加型英語学習の問題
問題は、このプレゼンテイションをどうやって準備するかであった。普段の日は授業がぎっちり詰まっていて、どういう出し物をするか、どういう風にフィリピンの子供達に伝えるか、相談する時間がない。結局、夏休みに入ってから、植林ツア参加者を集め、相談しながら出し物を決め、練習に入った。練習といっても、最大の難関は、英語であった。これまで繰り返し述べてきたように、大学入学まで、人前で英語でスピーチをした経験など一人もいない。今度はフィリピンの子供達の前で、英語で日本の昔話を聞かせるのである。まったく初めての経験である。
まず第一は英語そのものが問題である。発音などは二の次のことで、どこかの本から引き写してきた英語では、フィリピンの子供にはまったく通じない(彼等彼女等にとっても英語は外国語である)。その原稿をできるだけ易しい英語に書き直すことから作業は始まった。
スピーチの原稿が出来上がると、次に待っていたのが、その原稿の使い方の問題である。大学一年生だから、人前で英語で話しをするには、手元に原稿を用意し、見ながらそれを読み上げるしかない。しかし、これでは子供達に向かって語り掛けるスタイルにはならない。「朗読」になってしまう。そこで教員の方は、学生に「皆さんがやらなければいけないことは、子供達に語りかけることだ。原稿を読み上げるのではなく、相手の目と顔を見ながら、語りなさい」、「そのためには、あらかじめ頭のなかに、スピーチのキーワードだけ入れておき、それを使いながら、相手の目を見ながら語りなさい」と指導することになる。
しかしながら、この指導はついに最後まで成功しなかった。メモ、あるいは原稿なしにスピーチをさせることは、現在の大学一年生には、あまりにも過大な要求である。早くも準備段階でそのことが判明したので、「メモはそばに置いておいてよい。しかしできるだけメモを読むのではなく、子供達の顔を見ながら話しなさい」と指導の仕方を修正した。事実、本番の際に、幾人かの学生は懸命になって原稿を暗記してきて、子供達の顔を見ながら、堂々とスピーチを行った。「国際会議に出席する日本人は、メモを朗読するだけ」という批判、誹謗、悪口をこれまでしばしば聞かされてきた。相手の目を見ながら、顔を見ながら、英語で意見を発表できるようになるまでには、まだまだ時間がかかることであろう。ただ、「読むことと、話すこととは、別のこと。たとえ外国語でも、正面から相手の目を見ながら話すことが必要」というメッセージは、たえず言いつづける必要があるだろう。
この植林ツアでは、毎日、夕食後、必ずミーティングを開いた。ミーティングとは参加者全員、その日の体験を英語で報告する報告会のことである。これは学生の間にパニック状態を引き起こした。ある学生はこれを称して「魔のミーティング」、「魔の英語漬け」と形容した。ある学生は、「夜のミーティングさえなければ、こんなに楽しいツアはない」とこぼした。日中、さまざまな体験に晒され、その時点その時点は楽しかったのだが、その経験を英語で語るとなると、途端に憂鬱な表情になった。
我々の指導は、あるいは厳しすぎたかもしれない。しかし英語は追い詰められなければ、身につかないというのが、我われの基本的な考え方だった。その日一日、ふだん体験できないほど濃厚で生き生きした体験、発見、感動があったはずである。ところが、いざそれを英語で発表する段になると、ごく平凡な、ありきたりの話しかでてこない。その原因は、基本的には英語での表現力に限界があるためであることはいうまでもない。高校までの英語では、具体的な日常場面での英語は、ほとんど教えられていない。自分の体験、感動、意見を英語で表現する訓練は、ほとんどなされていない。
教師の間では、しばしばいらだちが生じた。その苛立ちが頂点に達したのは、最終日を明日にひかえた夜のことであろう。明日はフィリピインの植林ボランティア(青少年、一般人)を前に、この1週間に何を体験したのか、各自3分づつのスピーチをすることに予定が組まれている。ほとんど深夜になってから、そのリハーサルを始めたが、10数名の学生の話は、どれをとっても同じ内容、同じ表現の話で、何の変化もない。こんな話の連続を1時間以上、我慢して聞かせることは、相手に対して失礼の一語に尽きる。
「
too many repetitions, too monotonous, no variety」と教員側が批評した時、「皆、同じツアにきて同じツアで回ったのだから、話が同じになってもしかないじゃないですか」という反論が学生側から巻き上がった。恐らく,このツア期間中、教員グループと学生グループとの対立、反発、緊張が、その時ほど極点に達した瞬間はなかっただろう。幾人かの学生は、その時になって、このツアに参加したのは間違いだったと悔やんだことであろう。ある学生は、こんなことまで要求されるとは、夢にも思わなかったと腹の底でつぶやいたことであろう。あるいは、もっと英語をまじめに勉強してくるのだったと悔やんだことであろう。すでに何人かの学生は目を真っ赤にしている。時間はすでに12時を回ろうとしている。明朝は7時起床、8時出発、9時からフィリピン関係者の前での報告会が予定されている。そこで、教員3人が各5名づつ学生を受け持ち、最小限その5名の間では話しの内容が重ならないように調整することにした。この調整作業に午前3時までかかったグループもあった。翌日9時から発表会が始まった。どういう結果になるのか、それはやらせてみるほかない。前夜ほとんど寝ていない学生もいる。教員側は不安だらけ。本番の英語での発表会がどうなったかは、その場面を写したビデオを見て評価して貰うしかない。ただ私個人の感想を述べれば、正直いってあの時ほど驚いたことはない。わずか数時間前までは、英語の原稿ができない、覚えられない、発音に自信がない、完全なパニック状態にあった学生が、実に堂々と、しかも胸を張って発表するではないか。夜のミーティングでは、流れ出る涙をぬぐっていた学生が、晴れ晴れとした表情で語っているではないか。「みんな。やればできるではないか。これでいいのだ。これを自信につなげなさい」。心の底でそう叫んでいた。
発表会が済んでから、フィリピンの青少年と一つの輪を作り、互いに手をつなぎながら、お別れの歌を歌った。英語での報告がやっと終わったという開放感、1週間のツアが終わったという緊張感からの開放から(教師側も同様)、会場のあちこちで国籍、人種、言語の相違を超えて、硬く抱き合っている光景が展開された。人類はともに一つなのだ。百万弁の言語を費やすよりも、この体験ほど、このことを身体の中に刻み込んでくれるものはない。これが「参加型授業」であり、「体験学習」なのだ。こういう体験を眼前にしていると「異文化交流」などという言葉が白白しく思えてくる。我々は、あまりにも「文字に書かれたテキスト」を過信し、「テキストを通じての伝達」に埋没し、「テキストを通じての学習」に束縛されてきたのだ。我々に必要なのは「テキスト化された文字」ではなく、「自分の体内に内面化された言葉にならない言葉(=暗黙知)」なのだ。我々の行動、感情、感動、価値観を支えているのは、「テキストとして書籍・コンピュータのサーバに蓄積された情報」ではなく、「この自分のなかに埋め込まれた個人知であり、暗黙知」なのである。(野中)
もちろん、わずか1週間の間に英語の実力が上がるはずはない。むしろ問題は「話せば通じる」、「英語で話しが通じることは大きな感動だ」、「日本にかえったら、もっと積極的に英語を勉強しよう。授業中もただ時間のたつのを待つのではなく、自分から進んで発言することにしよう」。何人かの学生の内面で起きたであろう変化であった。
5.シルバーパソコン体験教室の経験から
「シルバーパソコン体験教室」もまた、こうした習い立てのスキルを実際の場面で、活用しながら学ぶという「参加型学習」の機会を提供してくれた。もともと、この「シルバーパソコン体験教室」は情報教育センターから提案された企画で、大学周辺に住む60歳以上の方々を対象にし、ふだんなかなか体験する機会の少ないパソコンに実際に触って貰おうというのが趣旨であった。
1999年3月末に第1回目を実施し、2000年9月に第2回目と第3回目を実施した。第1回目はテスト・ケースで、我々にとってもはじめての経験だったが、その結果は我々が予想した以上のものがあった。第2回目は保谷市からの委託事業として、本学のエクステンション・センターが主体となって実施に当たった。第3回目は、まったく偶然のきっかけで、東芝の協力を得て開催することができた。その偶然というのは、
Microsoft社と東芝が共催する「大学におけるIT革命」というシンポジウムに筆者が参加したところ、終了後、東芝の経営陣の方から、直接会いたいという電話があった。お目にかかって、大学での情報教育の現状などを話しているうちに、談はたまたまシルバーパソコン体験教室のことに及んだ。「これまでは本学の専任インストラクターの献身的なサービスに依存して実施してきたが、これ以上無理を頼むことができないので、中断している」という筆者の話に、「それならば、東芝の方でインストラクターを派遣しましょう」という願ってもないお申し出を受けた。さっそくその御好意に甘えて、エクステンション・センターに設定方を依頼し、実施に至ったものである。いずれの場合とも、約40名ほどのシルバー受講者を対象に、まず専門のインストラクターの指導にしたがって、パソコンのスイッチの入れ方から体験してもらう。この場合重要なのは、インストラクターの口頭の指示だけでは、シルバー受講生にはなかなか理解できないということである。どうしても、一人一人のシルバー受講生の手足を取って、直接具体的に「ここ」と教えてくれるアシスタントが必要である。そこでこのアシスタント役として、本学の学生から「ボランティア」を募集した。そしてシルバー受講生
2名当たりに1名の学生ボランティアにつけ、手をとり、足を取ってのガイドをしてもらった。つまり1回の教室に、一日当たり10名程度の学生ボランティアを当てた。この行事は好評を博し、終了後も次回はいつ開催されるのかという問い合わせが続いた。問題はこの行事に参加して学生が何をえたのかという問題である。終了後、参加学生から簡単なアンケートを取ったが、そのなかから得られた結果は、以下のようなものである。
などである。
つまり、シルバーを対象とした体験教室であったが、もっとも多くを学んだのはシルバー受講生自身よりも、むしろボランティア学生自身だった。まさに「教えることが、最大の学習になる」とは、このことをいうのであろう。
しかしこの「体験学習」に期待されたのは、ただスキル習得への動機付けが高められる、スキル学習が促進されたというレベルだけの問題ではない。もっと重要なことは、「自分は今や他人に感謝されるスキルを学習しているのだ」、「世の中に役に立つスキルを学習しているのだ」、「だんだん自分は他人から期待される人間に成長しつつあるのだ」という充実感であった。これはとかく目標を見失いがちな学生時代にとっては意味がきわめて大きい。現在、多くの大学生は「こんなことを勉強して、どんな役に立つのか」という疑問を、常に腹の底に抱えながら、大学に通っている。恐らくこれは今に始まったことではなく、学校が発生して以来のことであろう。そういう状況の中で「他人に感謝される人間に成長しつつある」という感覚は、学習の目標把握のために欠かせない。
とかくパソコン教育は(このごろではそうではなくなったが)、「単なるパソコン技術の学習」、「卒業生のみせかけの商品価格を釣り上げることを目標にした、大学の現実に対する追従・妥協」ととらえられることが多かった。現代社会学部の構想を練った時、パソコン教育を必修にし、パソコンの購入を義務づけたのは、単なる卒業生の商品価値を高めることが目的だったのではない。そうではなくて、現在18、19歳の世代が社会的活躍期を迎える頃には、情報機器は社会の多くの場面に浸透し、それを使いこなせるか否かによって、生活条件・労働条件が大きく違ってくるに違いない。大学のカリキュラムは、一時代先の社会を標準に設定する必要がある。
このパソコン・ボランティアのモデルとなったのは、アメリカのCompuMenterという組織である。このパソコン・ボランティアはアメリカの大学の内部から発生した。コンピュータ、インターネットの普及とともに、かなり早い時期からアメリカで「コンピュータ難民」という現象が社会問題となった。情報化社会のお陰で、生活が便利になるのはよいことだが、その反面ではそれについて行くことができず、かえって生活に不便を感じる人たちが生み出されている。そういう人々をそのまま放置してよいのか、大学は先端技術だけ追っていればよいのか、大学の知的活動の結果として作り出される社会格差を、放置しておいてすむのか、という反省の声が高まった。
その時、習いたてのパソコン技術を活用して、こうした人々のために役立てようと、ボランティア活動を始めたのが、アメリカの大学生であった。彼等・彼女等は各地でお年寄りや体の不自由な人々のために、パソコン・ボランティアを始めた。
我々の考えた構想も、同じであった。学生諸君に今自分達が習っているスキルが、どれほど他人から必要とされるスキルなのか、どれほど他人に感謝されるスキルであるのか、それを体験してもらうには、シルバーパソコン体験教室は絶好の場であった。
6.参加学生の感想
いくつか学生諸君の感想を紹介しておこう。
「アシスタントをしてみて、人に物を教えることの大変さを知りました。一つのことをおしえるにはその十倍以上のことを知らなければいけないことを痛感しました。とても勉強になる体験をさせていただきました。そしてなによりも驚いたことは、高齢者の方々の学習意欲、学習姿勢です。絶対今時の学生の何十倍も意欲があると思います。(開始30分前には全員揃ってるなんてすごすぎる。)どの人も生き生きしていました。これからもっと、大学や地域が高齢者の学習の機会を積極的に開いていかなければいけないと思います。」
「シルバーパソコン教室を実施する前は車椅子に乗ったかたがたが数人いらっしゃると思っていたのですが、平均年齢が70歳とは
思えないほど皆さん若くて驚きました。私が教えていた方の中には名前で呼んでくれるようになった方もおり、食事もお話をしながら食べ、楽しんでいただけたと自分でも今回のパソコン教室に非常に満足しています。また、パソコンの新しい知識を増やしたり、高齢の方との接し方などを新たに学び、自分にとってもプラスのことが多かった4日間でした。」「私は当日3人の方を担当しました。一人は全くの初心者のAさん一人はパソコンを始めて1年近くたっているBさん、一人はパソコン暦は長いけれどインターネットは初心者のCさんでした。Aさんは「私はもう大体のことは分かるから、あとの二人を見てあげて。分からないことがあった時は呼ぶから。」と言って下さいました。そこで私はお言葉に甘えて二人を中心に見ることにしました。3人の方を一気に見るということになると、私のほうがパニックになってしまってあまり役に立てなかったという事がいくつもあったことをとても残念に思います。この講座に参加して一番嬉しかったことは、やはり受講者の方が一つのことができて喜んでくださったことです。」
「シルバーパソコン講座に参加し、自分自身も
大変勉強になりました。 まず、1番気をつけたのが言葉づかいでした。 改めて日本語は難しいと実感しました。特に私は 普段児童館に行っていて、シルバーパソコン講座の 前日まで他の子供たちとのボランティアに 行っていたので、頭の切り替えが大変でした。 謙譲語、丁寧語、尊敬語とそんなに厳しく 使い分けてはいませんが、失礼のないようにすること に気をつけました。」「この度はシルバーパソコン教室のお手伝いをさせていただき本当にありがとうございました。一年前まではまさか自分がほかの誰かにパソコンを教えるなどということは考えてもなかったことなのですごく信じられない気持ちでいっぱいでした。当日は思っていたよりも和やかな雰囲気の中で行われとても楽しい時を過ごすことができました。またこのような機会があったおりにはぜひ参加させていただきたいと思います。」
「私は、30日と31日の2日間、このボランティアに参加しました。結果から言うと、私は、参加して、良かったなって思いました。なぜかというと、いろいろと参加者の方に教えることで、自分のパソコン技術のスキルアップにつながったし、また、おじいちゃん、おばあちゃんといろんな話をすることができて、楽しかったからです。でも、なにより、参加してくださったみなさんが、とても喜んでくれたことが、うれしかったです。
このボランティアで、自分でも、誰かの役に立てるという喜びを、改めて感じた気がしました。確かに、パソコンに触ったことのない人に教えるのは、すごくすごく疲れるけど、それ以上のなんか、良く分からないけど、やりがいみたいなものも感じました。 だから、また、パソコン講習会の企画があるのなら、その時はまた、ボランティアで参加したいと思っています。」7.賃労働への組み込み
現在、大学生のほとんどがアルバイトをしている。日本経済はこの大量の若年のパートタイム労働者によって支えられている。日本企業が「学生アルバイト」を求めるのは、あえて首切りをしなくとも、いつかは去って行くことが確実な労働力だからである。単なるパートタイム労働の提供源ならば、「主婦層」にもある。しかしながら、「学生アルバイト」の方が「主婦パート」よりも単価が高いのは、同じパートタイム労働であっても、「学生アルバイト」は「短期的」であることが確実だからである。雇用調整上の利便性を考えれば、「学生アルバイト」の方が「主婦層」よりもはるかにまさっている。本学の場合も、学生は1週間に25時間のアルバイトをしている。ピーター・サックスによれば、アメリカの大学生もまた週当たり20時間のアルバイトをしている(サックス。130頁)。つまり、学生時代とは、学業を学ぶ時期であるとともに、アルバイトを通じて「社会体験」をする時期でもある。
こうした学生時代のアルバイト体験を通じて、学生は「自分を労働力として売る」という価値観を習得する。あるいは「働いた以上、それ相応の報酬を期待するのは当然である」という価値観を内面化させる。しかしながら「ボランティア」とは、改めて述べるまでもなく「無償性」を原則としている。中嶋はボランティア活動の特徴として、(1)自発性、(2)公共性、(3)連帯性、(4)無償性、(5)市民性、の5つを上げているが(中嶋、1999年)、ボランティアとして参加する以上、何らの報酬も期待できない。つまり、ある場面では「賃労働」として働く者が、別の場面では「無償のボランティア」として働くことになる。その両者は当事者達の内面で、どういう関係になるのであろうか。
そこで筆者の担当する1年生の授業受講生を対象に、「3日間、シルバーパソコン体験教室で無償のボランティアをするのと、それだけの時間があったら、アルバイトをしてお金を稼ぐのと、どちらを選ぶか」という質問を投じてみた。その問いに対する解答は、別記資料編に挙げてある。ただ、若干の説明を加えるならば、調査時点が1年生の7月で、まだコンピュータの授業がそれほど進んでいない段階でのことであり、他人に教えるほどの自信がついていないという学生が多い。だから将来そういうチャンスがあったらぜひ参加したいが、一年生の今の時点では遠慮しておきたいという意見が多数あった。
また筆者の本当の狙いは、アルバイトをとるか、ボランティアをとるかという、単純な
2分割論理ではなく、すべてが金銭で置きかえられる時代のなかで、あえて無償奉仕に参加することで、自分の心のなかにどのような考え方が浮かび上がってくるものか、それを自分自身で感じ取ってもらいたい、自分の心が自分に対して何を語りかけてくるのか、それによく耳を澄ませてもらいたい、という点にある。1999年
3月に第一回目のシルバーパソコン体験教室を開催したが、その時には21名の学生ボランティアが集まった。しかし同年9月中旬に同様な企画を立て、学生ボランティアを募集したところ、応募者はほとんどなく、ついに企画そのものが中止となった。その理由は明白で、9月中旬は夏休みの最終段階で(本学の夏季休暇は例年8月2日から9月20日まで)、学生にとっては青春を謳歌する絶頂期に当たっている。あえてその時期を犠牲にしてまで、ボランティアに時間を割くことはできない相談なのであろう。このように、現代の学生は、勉強、アルバイト、遊びを絶妙に組み合わせながら生活している。そのなかにあって、「ボランティア活動」の置かれた位置は、きわめて絶妙である。このように、すでにパートタイム労働に組みこまれ、自分の労働力を売ることを経験している学生に、「ボランティア活動」への参加を期待することは容易なことではない。その困難さは、シルバーパソコン体験教室を開催するとき、いかにボランティア学生を安定的に確保するかという問題となって具体的に現れる。最初の1回や2回は「物珍しさ」があって参加者があっても、常に安定的に確保することは、きわめて困難である。そのため、たとえ社会的には評価され、一部の学生には「ためになる」としても、このイベント全体を企画立案実行する人をうることがむつかしいという問題となって現れる。とくに最近の人員削減の結果、どの部署も手一杯になっている以上、こういう「面倒な仕事」をあえて引き受ける人がいない。たかがシルバーパソコン体験教室とはいうが、具体的には、外部に向けての
PR、受講希望者からの問い合わせへの応答、学生ボランティアの確保、インストラクターの手配、受講希望者や学生ボランティアの名簿作成、出勤体制の編成、出勤チェックなど、さまざまな仕事がある。そのための人件費は結構な額になる。こうした面倒臭さを考えると、いっそうのこと、ボランティア・ベースではなく、インストラクター、学生アルバイトにも市場価格に応じた報酬を支払い、受講者からはそのコストに見合った受講料を徴収するという、準コマーシャル・ベースで考えた方がよいのではないかと考えることもある。つまりボランティアから始まった事業を、あえて準コマーシャル事業に転換することである。もちろん、その場合、それだけのコストを負担してもよいという受講者が、採算に乗るだけ集まるかという危険性は残る。
要は「ボランティア活動」は、協力してくれる人材の安定確保での難がある。外部からは「慈善ばがい」、「偽善臭い」と見られ勝ちである。そういう現状をこそ転換する必要があるのだと主張されれば、確かにそれはそうだが、実行上の面倒臭さを考えれば、万事「コマーシャル・ベース」で割り切った方がすっきりするのかもしれない。
内橋克人は「食えるボランティア」の可能性を求めているグループを紹介している。現在、ボランティア活動には個人生活を犠牲にし、汗水流して、歯を食いしばってというイメージが付きまといがちである。こういうイメージが続く限り、このライフスタイルの持続可能性は低い。この持続可能性をいかに確保するかは、現在の避けられない課題であろう。
(参考文献)
中嶋充洋「ボランティア論」1999。中央法規出版。
金子郁容「ボランティア」1992。岩波新書。
金子郁容「コミュニティ・ソリューション」1999。岩波書店。
内橋克人「共生の大地」1995.岩波新書。
金子郁容、松岡正剛、下河辺淳「ボランタリー経済の誕生」1998、実業乃日本社
野中郁次郎・竹内弘高、梅本勝博訳「知識創造企業」1996.東洋経済新社
潮木守一「新しい知識論の展開と学習理論」2000、「教育展望」1+2月号掲載。