書評 大崎仁「大学改革 1945−1999」
(有斐閣編「書斎の窓」No.495.2000年6月号 58−61頁)
著者の大崎仁氏は、長年文部省にあって、学術国際局長、高等教育局長、文化庁長官等を歴任された方である。「大学改革1945−1999」というメイン・タイトル、「新制大学一元化から「21世紀の大学像」へ」というサブタイトルが示すように、本書は戦後成立した新制大学の50年史であるとともに、戦後日本における大学改革の通史でもある。同氏が文部省に入省したのは、1955年のことであるから、新制大学50年史のうち、40年間を文教政策、大学政策の担当者として文部省の内側から大学を眺め、大学改革の行く末を目撃してきたことになる。
思い起こせば、我々が学生だった頃、いくつかの日本の大学史・学問史が話題となった。当時の社会的雰囲気、思想的雰囲気として、大学生である以上、それらは必ず目を通しておかねばならない必読書であった。その多くは、戦前、戦中、日本の大学がいかに国家権力に弾圧されたか、大学人はその弾圧・干渉に対していかに勇敢に立ち向かい、多くの犠牲を払いながら、いかにして「大学の自治・学問の自由」を擁護したかを、熱っぽく語っていた。経験の乏しい青年にとっては、それは善玉と悪玉がはっきり分かれているいるだけに分かりやすく、青年の正義感をたぎらせるにはじゅうぶんな波乱万丈に満ちていた。もちろん、昭和9年生まれの評者には、それらの弾圧事件、干渉事件の直接体験はなく、はるか昔の物語でしかなかった。しかし、先生筋、先輩達から聞かされる話は、それなりの現実感があり、それなりの説得性があり、場合によっては、「明日はわが身」と思わせる切迫感に満ちていた。邪悪なるもの=国家権力、正義の味方=大学。この図式は大学の栄光を際立たせ、学問の正しさを誇示するには絶好の舞台装置であった。
育ち盛りの少年に刻み込まれた想念とは恐ろしいもので、評者自身、かなり後になるまで、こうした想念の呪縛から逃れられないでいた。今のような職業を選んだのも、このようなキャリアをたどったのも、あるいはその頃の読書の結果だったといえなくもない。しかしいざ自分が大学の教師になり、大学に籍を置いてみると、何かが違う。自分がイメージしていたものと、どこかが違う。どこがどう違うのか、割り切れない気分を腹の底に抱えながら、あれこれ考えているうちに、浮かび上がった結論が、思想とか言説とか想念とかは、所詮時代の産物に過ぎないという至極平凡な結論であった。1945年から60年頃までに作り出された言説は、敗戦、旧権力の崩壊、東西対立の激化、社会主義体制の目覚しい発展、市場経済の欠陥露呈など、あの15年間の時代状況に強く彩られた言説だったのである。その時代は「進歩的知識人」がもっとも輝いていた時代であり、彼等が活躍する論壇と大学がもっとも輝いていた時代だったのである。そういう時代背景のなかであれば、戦前、戦中の大学の国家権力に対する抵抗史は、国家権力=悪玉、大学=善玉を語るには、格好の舞台だったのである。かくして1950年代の一時期、その時代特有の言説が日本の論壇の主流を占めることとなった。
しかしながら、今にして思えば、その当時、語るのは、もっぱら当事者の一方ばかりで、他の一方は黙して語らない。一方の立場からの言説は大量に流れ出されるのに対して、他方からは何もでてこない。しかし人間と人間との闘争であり、抗争である以上、当事者双方とも、それぞれなりの言い分があるとみるのが、普通のことであろう。闘争の当事者の一方の言説のみが流布される言論状況は、いかにも偏っている。
しかし考えてみれば、いつの時代においても、さまざまな言説を発するのは大学人であって、官僚ではない。大学人はもともとものを書くのが商売だから書くが、官僚は実行者であって、ものを書く人ではない。こうした構図は、いつの時代にあっても基本的には変りはない。つまり活字世界とはもともと、こうした構造的な偏りを持っている。だから、たまたま活字となって後に残った証言だけに依拠する歴史記述は、とかく一方に偏る危険性をたえず孕んでいる。しからば、この構造的な偏りを正すものは何か。それは当事者双方がともに発言することである。記録を書き残す努力を払うことである。そうでない限り、歴史証言は構造的な偏りを持ったままで終わってしまう。
前置きが長くなったが、本書は第一部「占領下の改革と新制大学の形成」、第二部「独立回復後の大学改革と大学像の模索」という2部構成となっている。第一部では占領政策のもとでいかにして新制大学の仕組みが形成されていったかが、米国教育使節団、教育刷新委員会などの動きを追跡する形で分析されている。大崎氏が新制大学の成立史について設定する疑問は、「白紙に絵を描くように、既存の学校をまったく無視した新制大学への一律一元化が、なぜ、どのように、推し進められたのかということが、最大の疑問である」(20頁)。この第一部は、まさにこの疑問を解くことに当てられており、この個所を読み進む読者は、さまざまな予想外の事実を知ることになるであろう。この疑問に対する大崎氏の回答は、「日本の大学が現在抱えている問題の多くは、(中略)日本政府を間接統治下においた占領軍が、占領政策を、一方では日本政府を通じて、他方では日本側関係者の「自主的」動きを指導・支援して遂行するという手のこんだ手法をとったことによる。それは、結果として責任者不在の改革となり、占領軍を含めて、誰もが望まず、誰もが不満な大学を生み出すこととなった。以後、日本の大学はその後遺症に悩まされ続け、大学改革が口にされないときはなかった」という一文に要約されている。評者のような世代にとっては、すでに新制大学は出来上がった既成品で、それをそのまま受け取るしかなかったが、本書を読み進む中で、意外な人が意外な所で意外な反応をしていることを知り、正直いって驚きであるとともに、歴史のからくりをみる思いがした。
これに対して第二部「独立回復後の大学改革と大学像の模索」は、まさに同時代史で、同時進行中の事項がかなり含まれている。たとえば、平成3年大学審議会答申によって、一般教育・専門教育等の授業科目区分が撤廃されることとなったが、それ以降、多くの大学でカリキュラム改革が開始されることとなった。その当時、文部省にいて、この基準改定に対する大学の反応をみていた大崎氏およびその周辺の人々は、「基準の制約をはずしても、教育課程が実際に変化するには10年はかかるだろう」と見ていたようである。このような見方があったのは、「制度の弾力化に対するそれまでの大学の反応の鈍さが、そのような判断につながっていた」(311頁)ためであるという。ところが「実際に蓋を開けてみると、大学は雪崩をうつかのように一斉にカリキュラム改定へと走った」。このカリキュラム改革を目指しての全国各大学の「バッファロー現象」はいったいなぜおきたのであろうか。大崎氏はいう。「予想を上回るこのような急速な変化は、なかなか実を結ばない一般教育改革の試み、一般教育の理念の風化、一般教育担当者の専門教育志向などが相乗して、「一般教育」からの脱却を求める空気が大学に充満していたということかとも思われるが、それだけでは説明しがたい変化が大学に起きていることを感じさせるものでもあった」と疑問を呈している。おそらく大崎氏の立場から見れば、この大学の行動は予想外のことだったのであろう。いったい大学人は、こうした疑問にどう答えるのであろうか。誰かがきちんとした説明をしておくべきであろう。
それと同様のことは、「大学院重点化」についてもいえる。大学院の「部局化」は「東大法学部と文部省担当部局との折衝過程で生まれた着想」(318頁)とされているが、いったん東大法学部で研究科の部局化が実現すると、旧帝大を中心とする他大学でも、それに追随する動きが一斉に始まった。大崎氏の目からみれば、「かつて学部自治擁護の中心であった東大、京大法学部が、このような動きの先陣を切ったことに、時代の変遷を感じざるをえない」ことであろう。いったい大学人はこうした疑問(それはけっして大崎氏だけの疑問ではない)にどう答えるのか、今後の大きな課題を課せられたことになる。
また大崎氏は「大学院重点化」の話を聞くたびに、「その主張にどこか学部教育放棄のにおいがした」といっている。「面倒な学部教育で手を焼くより、大学院の教育研究に打ち込みたい、という思いが、大学院重視論にはどことなく感じられる」(345頁)といっている。これまた大学人が正面から本音でもって語るべき課題であろう。大崎氏一人でなく、世間が問い掛けている疑問だからである。
大崎氏は本書を通じて、文部省のなかから大学を眺めた時、どうみえるのか、その記録を残した。すでに先に述べたように、活字文化、書籍文化、出版文化は構造的偏りをもっている。そのことを思うと、本書にはきわめて貴重な記録、証言が盛り込まれている。われわれの体験は、同じ体験でも、立場が違えば、違ってくる。一方の立場からの証言だけしか後世に伝えられないとしたならば、それは歴史に対する冒涜であり、人間の営みに対する冒涜であろう。本書で大崎氏が提起した解釈、疑問に大学人はいかに答えるか。これからは大学が答えを出さねばならない順番になった。