「新たな知識論の展開と学習理論」

武蔵野女子大学 潮木守一

20世紀末を迎えた今日、多くの人々の関心の焦点となっているのが「知識」である。すでにアメリカの未来学者トフラーは1990年に「パワーシフト」という著書を発表した。この本で彼は、今や筋力でもなく、金力でもなく権力でもなく、「知識」が支配力を持つ時代が到来しようとしていると論じている。日本ではそれよりも早く、1985年に堺屋太一氏が「知価革命」という本を出版して、「工業社会が終わる、知価社会が始まる」と論じて、話題をまいた。トフラーがあえて「パワーシフト」というタイトルを選んだのは、まさに「パワー」がかつての財力や権力から「知識」にシフトしようとしていることを示したかったからである。また堺屋が「知価」という耳慣れない言葉をあえて使ったのも、「知識」の「価値」を改めてみ直そうと呼びかけたものである。

 このようにすでに数年前から、かなりの人々が「知識」に新たな関心をよせていたが、ここ数年来、こうした動きはさらにその速度を速めたように見える。たとえば、数年前から欧米圏では「知識経営」(Knowledge Management)という言葉が登場していたが、1998年ついに世界銀行までがその年次報告(World Development Report)で「知識銀行」(Knowledge Bank)の構想を打ち出した。この世紀末になって、どうして人々はあらためて「知識」の問題を問わねばならなくなったのであろうか。

こうした動きの背後にあるのは、近年におけるいくつかの地殻変動的な変化である。第一の変化は、インターネット、コンピュータ、デジタル情報の爆発的な普及である。いまやインターネットを通じて、知識が国境を越え、海峡を越え、大陸を越えて、自由に行ききする時代が到来した。具体的な実例を挙げれば、我々はいまでは、この日本にいながらにして、NASA、アメリカ航空宇宙局のコンピュータに貯蔵されている映像、画像をみることができる。NASAのホームページを開くと、「マルチメディア・ライブラリー」というアイコンがある。そこをクリックすると、さまざまな動画や静止画像を収めたコレクションを見ることができる。そのなかには、大気圏外に打ち上げられたハッブル天体望遠鏡が捉えたさまざまな映像が納められている。いまでも記憶されている方がいることと思うが、数年前、シューメイカー彗星の破片が次々と木星の地表に落下して、爆発するという現象がおきた。その当時、「今世紀最大の天体ショー」と話題を呼んだが、このNASAの「マルチメディア・ライブラリー」には、その時の映像が納められている。この画像には、いくつもに分裂した彗星の破片が、次々と木星の地表面に落下してゆき、爆発するシーンが収められている。

 さらに例をあげるならば、このコレクションには、リングに囲まれた土星の映像が納められている。リングに囲まれた土星の画像そのものはそれほど珍しくなく、これまで多くの方々が天体図鑑などで御覧になられたことであろう。ところがこのNASAのライブラリーに収められているのは、北極、南極にオーロラがかかった土星の写真である。オーロラなどというものは微弱な光で、普通の天体望遠鏡ではみることができない。ところがハッブル天体望遠鏡は大気圏外に打ち上げられており、そこから土星を観測しているのだから、こうした微弱な光までも捉えることができる。北極、南極にオーロラのかかった土星。これはまさにハッブル望遠鏡にして観測できる映像であり、NASAのライブラリーだから蓄えられている映像である。

 このように、インターネットは情報の流れを変えたばかりでない。それはいまや産業のあり方、国際分業のあり方さえ変え始めている。実例を紹介しよう。アメリカの企業では大量のパソコンを使用している。そのパソコンを一台一台動かすためには、プログラムをインストールしておくことが必要である。プログラムが入っていなければ、パソコンは「ただの箱」でしかない。ところが、このプログラムが時々故障を起こす。それを修理するには、専門の会社に頼み、専門家に修理してもらうほかない。しかし、こういう修理はパソコンが動いていない夜間を狙うしかない。会社のシャッターが下りてから、専門家が夜通しかけて修理することになる。あらためて述べるまでもないことだが、夜間労働はそれだけコストが高くなる。

 そこで最近のアメリカの会社では、故障したプログラムをインターネットを経由してインドに送っている。アメリカの夕方は、インドの朝である。アメリカの会社がシャッターを下ろす頃、インドではちょうど人が働き出す時間である。アメリカから送られてきたプログラムの故障を、インドの技術者が修理する。そして修理が終わると、またインターネットを経由してアメリカに送り返す。要するにアメリカ側からみれば、夜寝ている間にプログラムが修理され、翌日出社した時には、平常通りの仕事ができることになる。これはまさにインターネットと時差を活用した、新しい時代の国際分業というべきものである。

 もともとインドは優れた技術者を輩出する国だった。ところがこれまではインド国内にはその優れた技術を生かす職場がなかった。そのため多くの優れたインド人技術者は、海外に職を求めて散っていった。つまり頭脳流出が行われていたのである。ところが、インターネットが登場することによって、わざわざ頭脳流出をする必要性がなくなった。インド国内で仕事ができるようになったのである。

 こうした事例が雄弁に物語っているように、インターネットの登場とともに、知識の流れが変わり始めた。もはや国境とか空間的な距離といったことは問題なくなった。つまりインターネット、コンピュータの普及は、我々に物理的距離を越えたコミュニケイションを可能にした。今や国境を越え、大陸を越え、大洋を越えたコミュニケイションが可能となった。それとともに、大きく変化したのは、情報の蓄積方法、情報の貯蔵方法である。これまで我々は書籍、文書、書類といった、紙に書かれた記録に大きく依存してきた。必要な情報は文書の形で残したり、文書にして遠くにいる他人に伝える方法をとってきた。ところが、一冊一冊の図書はきわめて便利なもので、開きさえすれば、記録を読むことができる。しかし、このような書籍が何千冊、何万冊と集まると、もはや管理不能になってしまう。莫大な書籍、膨大なページのなかから必要な部分を探し出すことは、容易なことではない。また大切なことは書類に残すのが我々の習慣だったが、その書類も2,3枚なら、どうにでもなるが、そうした大切な書類が何百枚、何千枚と集まると、もはや管理不能になってしまう。つまり「文書文化」「書籍文化」には、それなりの限界があった。

 それに引き換え、デジタル化された情報の場合には、蓄積することができる情報の量はほとんど無限大である。それだけでなく、その膨大な情報の中から求める情報を容易に見つけ出すことができる。そのことはパソコンにインストールされている「検索」という機能を使ってみれば、明らかである。ある文字を指定すれば、その文字の書かれた個所を瞬時にして探し出してくれる。一枚一枚、文書の束をくくりながら、目で探し出すのとはまったく効率も違うし、正確さもに違っている。

 近年、「知識」に対する関心が高まり、「知識管理」、「知識経営」といったことが語られはじめたのは、こうしたデジタル情報の出現、その急速な増加が背景となっている。

 しかしながら、最近の知識への関心の高まりには、こうしたデジタル情報の増加だけがきっかけになっているわけではない。もう一つの流れとして、およそデジタル情報とはまったく対照的なタイプの知識に対する関心の高まりが、もう一つのきっかけになっている。その知識とはハンガリー生まれの哲学者、マイケル・ポランニーが「暗黙知」と名づけたタイプの知識に対する関心である。その「暗黙知」とはどのようなものか。

 マイケル・ポランニーは1956年に「暗黙知」(Tacit Knowledge)という著書を刊行した。その本の骨子は、我々の内面に潜み、じゅうぶん言葉にならず、他人にも伝えられない知識が、我々の知的生産にとっては大きな役割を果たしていることを明らかにしようとした点にある。つまり、彼によると、人間はこれまで正確な言葉で語られ、曖昧さをもたない、誰が聞いても容易に理解できるような知識を価値の高い知識として評価し、もっぱらこういうタイプの知識(ポランニーはこういうタイプの知識を、「暗黙知」から区別するために「形式知」という名前を与えた)だけに関心を払ってきた。しかし、人間にとっては、こうした「形式知」ばかりでなく、「暗黙知」も重要な役割を演じており、これにもっと関心を払うべきだと論じたのである。

 この点をもう少し具体的に述べるならば、こうなる。我々の身の回りには「企業運営のしかた」、「政治のしかた」、「教育のしかた」、「生産のしかた」など、さまざまな知識がある。我々はすべて、こうした知識をたよりに日々の活動を行っている。政治家は政治家で、「どのように政治を動かしてゆくべきか」を考え、教師は「どのような教育をしたらよいのか」を考え、日々の活動を行っている。経営者は経営者で、彼等なりの知識、経験、勘、コツを動員しながら、日々の企業経営を行っている。

 ところが、こうした個人が持っている知識は、その個人の内部だけに閉じ込められていて、なかなか他人には伝えることができない。教師の場合であれば、ある教材をどうこなすか、一人一人の生徒をどう指導するか、長年の経験、知識、勘、コツを動員しながら、日常の教育活動をこなしているのだが、いざその経験、知識、勘、コツを他人に語ろうとしても、言葉で表現することができない。企業組織の場合であれば、そこで働いている人々は、それぞれ仕事の仕方、こなし方について、その人なりの経験とか、勘、こつ、などを持っていて、それを使いながら日々の仕事をこなしている。ところが、それらの経験、勘、コツは、その当人の頭の中にあるだけで、他の人には伝えることができない。そういう優れた仕事の仕方があるなら、それを大勢で共有すれば、組織全体に役に立つのに、それができない。こうした壁を乗り越えるにはどうしたらよいのか。つまり、そこで問われたのは「暗黙知」の共有化という課題である。これは教育現場においても、同様である。多くの教師がそれぞれ頭のなかに「暗黙知」を持っているのだが、それを仲間同士の間で共有するのが、むつかしい。少しでも多くの人々の間で共有化するには、どうしたらよいかが、我々の課題となる。

 私達は日頃、自分なりにさまざまな工夫をしながら、学生・生徒を教えている。他の先生達はどんな教え方をしているのだろうと気になるが、他の先生の授業風景を見る機会は、あまりない。「こういう問題にぶつかっているのだが、どうしたらよいのかわからない、誰か教えてくれませんか」。こういう質問はたえず出てくる。しかし、自分はこうやっていると分かっていても、それを言葉にして他人に伝えることができない。いろいろ言葉を変え、表現を使って説明するのだが、なかなか相手にはわかってもらえない。まさにそれが「暗黙知」なのだ。自分の頭のなかにあるのだが、それを他人にも伝えることができない。つまりあくまでも「暗黙知」として頭の中にあるだけで、それを「形式知」に変えることがきわめてむつかしい。

 しかし、この「暗黙知」はそれを頭のなかに持っている当の人間にとってはきわめて重要な知識で、我々は常日頃、この「暗黙知」に頼りながら、さまざまな行動をしている。これがなければ、日常的な教育活動ができない。ときどき、他の先生が自分の経験に基づいて、その先生の頭の中にある「暗黙知」を、文章にし、著作にして、「形式知」に変えて提供してくれる。こうした「形式知」を読むことによって、貴重なヒントが得られることがあるが、そういう知識が必ずしも万能だというわけではない。とくに教育のような仕事は、教える人がそれぞれ個性とそれぞれなりの経験と価値観をもっており、それにしたがって教育活動を行っている。またその教師の前にいる生徒・学生もまた、その場その場で異なっていて、一様であるわけでない。

 このように、「暗黙知」は「形式知」とは異なって、文字に変えることがむつかしく、文書として記録に残すことがむつかしい。ましてはデジタル化して、コンピュータのなかに蓄えることができない。このように、現在起きているのは、片や我々の頭の中にある知識をいかにしてデジタル化してコンピュータに蓄えるか、その蓄えられた情報をいかにして管理・運営しながら、より創造的な情報へと変換してゆくかという問題への関心であり、もう一方は、こうした形式化が困難で、それでいて我々の行動にとっては欠かせない「暗黙知」への関心である。これは一見すると、矛盾し、あい対立しているかのように見えるが、けっしてそうではない。コンピュータの出現、インターネットの普及、デジタル情報の増大によって、「形式知」の管理、経営が容易になるにつれて、こうした操作の対象になりにくい「暗黙知」への関心が強められた結果とみるべきであろう。

 最近、こうした新たな「知識論」を基礎にして、野中郁次郎氏が「知識創造企業」を発表している。この著書はもともと" The Knowledge Creating Company"というタイトルの英語で書かれた本として出版されたのが、近年日本語に翻訳されたものである。この本はもともと日本の企業の現場で、いかにして生産についての知識が作られ、いかにそれが組織立てられ、いかにして共有化されてゆくかを分析したものである。そのことは、副題として「日本企業ではいかにして知識のダイナミズムが作り出されているか」が選ばれていることからも明らかであろう。このなかで野中氏は次のような議論を展開している。

 まず野中氏はいう。知識を創造するのはあくまでも個人であるが、その個人は他者から切り離されて孤立して存在するのではなく、他人と意見交換をしたり、他者からの批判にさらされたり、励ましをうけたり、議論をしたりしている、組織あるいはコミュニティのなかにいる個人だという事実である。つまりそこに前提されているのは、没我の瞑想にふけったり、森の木立のなかで一人思索にふけっている「孤独な哲学者」ではない。あくまでも他者との頻繁な交渉を交わしながら、ともに行動しながら、そうした経験を通じて、自分の頭のなかに、ある知識を創造してゆく共同生活者としての個人である。

 こういう場面は、我々の日常的な教育現場を思い起こせば、容易に理解できるであろう。我々の教育活動は、生徒との交渉、他の同僚教員との交流、生徒達の背後にいる父母との交流など、無数の人々からの支持、非難、支援、拒絶などという場のなかで展開されている。教師はこうした環境のなかで、それぞれ教育のしかたについての知識を創造している。その点では企業組織の場合と同じである。

 それでは、我々の知識創造の具体的なプロセスはどのようなステップをたどりながら展開してゆくのであろうか。野中氏はこの過程を、「4つ知識変換モード」で説明している。つまり、共同化(Socialization)、表出化(Externalization)、連結化(Combination)、内面化(Internalization)という4つの段階をとるというのである。まず最初の段階は、ある個人の暗黙知を他の人々と共通した体験を通じて「共同化」する段階(教育現場では多くの教師が共通した課題に当面し、どうしたらよいのか、同僚同士で相談しながら、解決策を探ることが日常的に行われている)。第二段階は、個人の暗黙知を対話などを通じてグループ・レベルの形式知として共有してゆく「表出化」の段階(教育現場での事例に引きつけてみるならば、先生同士での相談を通じて、この問題については、こう対処してゆきましょうと共通の理解を作り出して、それを実践する段階)、グループ・レベルで共有された形式知を既存の形式知と組み合わせることによって、組織レベルの新たな形式知を創造する「連結化」の段階(一つの学校、あるいは同僚教師の間で作り出された共通理解を、さらに一般化して、どの学校でも、どのクラスでも実行可能な、より一般性の高い「形式知」に練り上げてゆく段階。場合によっては、報告書あるいは事例集として文字化され、デジタル情報としてどこかのコンピュータに蓄積されることもあろう)、そして最後のステップとして、こうした共同化、表出化、連結化を通じて創造された知識を、それぞれが自分のなかに、その人固有の「暗黙知」として取り込む「内面化」の段階(他の学校で成功した事例、あるいはそれを記録されたものを、一人一人の教師が理解・咀嚼して、自分に合った、自分の学校・教室に適応可能なものへと、内面化する段階)、以上の4つの段階をたどる。要するにある個人の内面に生まれた「暗黙知」がきっかけとなり、学校内、教師間での対話を通じて、それが「形式知」へと変形され、その「形式知」がふたたび個人の中側へ「暗黙知」として内面化されてゆく。こうした「暗黙知」→「形式知」→「暗黙知」というスパイラル的な展開が、野中氏の理論の要点である。

以上のことを教育現場に置き換えてみるならば、こういうことになる。次々に発生する教育上の問題は、一つ一つが個性的な特徴をもっており、その都度その都度、さまざまな要因を考慮に入れながら対応しなければならない。つまりどんな場合でも、ある薬を塗れば、たちどころに解消するといった万能薬は存在しない。しかし、逆にいって、全ての教育問題は個性的で、一般性がないとすると、教育問題の解決は「名人」だけにしかできないことになってしまう。特別な人だけができることで、解決方法を教師間で共有できないことになってしまう。しかし、これはいささか極端な論で、たとえ困難ではあっても、他の教師が頼ることのできる、共通知識を作り出すのが、一つの専門職としての職務であろう。この種の知識は、あくまでも「ゆるやかな一般的な指針」であって、それを機械的に適用すれば、万事問題が片付くといって性格のものではない。

現代の特徴は、こうした「形式知」の伝達、蓄積が、インターネットの普及で、きわめて容易にできることとなった点にある。教育現場のなかで生み出された知識を、広く伝え、だれでもすぐ引き出せるよう蓄積しておく方法は、現代のインターネット、コンピュータを利用すれば、一頃とは比べものにならないほど容易となっている。このようにデジタル化できる情報は、いくらでも蓄積し、相互に利用することができるが、最大の問題は、こうして得られた知識、情報を、自分達の行っている教育実践のなかで生かすには、一人一人の教師が自分の内面に取り込み、自分なりの教育方針、自分なりの教育目標との関連のなかで咀嚼し、組み替えなければならない。これはコンピュータには、できない作業である。つまり「形式知」が、一つの具体的な教育実践として動き出すためには、その当の教師による「内面化」の作業が必要であり、「形式知」を「暗黙知」へ転換させることがどうして必要である。新たな「知識時代」を向かえ、また新たな「情報環境」の到来を迎え、教育現場で日常的に作り出されている知識の共有化を考える必要があるだろう。近年における「知識論」の新たな展開は、教育現場にとって無縁ではない。「参加なしには知識なし」。教育の領域こそ、「知識銀行」が必要である。