「森の再生」
時事通信社「内外教育」1999年11月19日。第5063号。
この数年ほど、夏休みに入ると、学生諸君10数名をつれて、フィリピンに植林にでかけている。いまフィリピンでは、消滅した熱帯雨林をふたたび蘇らせる活動を続けているNGOがあり、そのお手伝いをするのが、ねらいである。我々がでかけたところで、大したことはできない。それでも、少しは役に立つのではないかと出かけている。
ただこういうたぐいの話は、とかく日本では「美談」に祭り上げられやすい。しかし、現地フィリピンでは、けっしてそうではない。はっきりいって、現地では、森の再生に関心をもつ人はほとんどいない。ごく一握りの人々が、黙々と植林活動を続けているだけである。住民に植林の必要性を説いても、理解もしてくれないし、助けてもくれない。なかには、誤解して彼等の植林活動を妨害する人もいる。孤立、無視、冷淡。これがそのフィリピンNGOを取り巻く環境である。
今年も植林ツアに行ってきた学生達が、その体験報告会を学内で開いた。会場には、植林活動を進めている一家のお嬢さんが、聞きに来てくれた。学生達の報告が終わったところで、フィリピン人としての感想を求められたところ、感極まって言葉にならなかった。最後にようやく、途切れ途切れに「私達を助けにきてくれて有り難う」と搾り出すように語り、そのまま絶句してしまった。
他人に理解されないくやしさ、もどかしさ、かなしさを抱きながら、活動を進めてきた人にして、はじめて語ることのできる「言葉にならない言葉」。孤立感を胸に秘めながら、苗木を一本一本植えてきた人でなければ流すことのできない涙。会場は一瞬、しんと静まり返ったが、この沈黙のなかを、国境を越え、言語の違いを越えて、無数の言葉が交わされたように思えた。人々が心を通わせるのは、言葉を通じてではない。それは「こころざし」を通じてなのだ。