「評価される大学教師」野間教育研究所編「野間研だより」第5号(2001年3月発行)1−2ページ
ピーター・サックスの「恐るべきお子さま大学生達」という本が、静かな話題を呼んでいる。もとの書名は ”
Generation X goes to college” というものである。すでに5年前アメリカで出版されており、出版直後からアメリカの大学人・知識人の間では話題となっていた。タイトルのなかにある「X世代」とは、要するに中・高年齢教師世代には、とうてい理解のできない新しい価値観・行動様式をもった大学生達のことである。もっと端的にいうならば、今の若い大学生世代に対する中・高年教師世代の苛立ち、不信、怒り、絶望、などが入り混じった複雑な感情が「X世代」という言葉には込められている。サックスが挙げている具体例を紹介すると、こうなる。授業中、お喋りに夢中になっている女子学生に注意したところ、教師の方こそ「自分たちを妨害した無礼な奴」という目つきでにらまれた。教室に携帯テレビを持ち込んで眺めている学生を発見し、注意したら「どうせこの番組は前にみたし」といってスイッチを切った学生。宿題をやってこない学生に、その理由を尋ねたところ、「何か課題を出し、それに答えたら、それを成績に加えてくれるならやってくる」と答えた学生。こうした類の実例が次々に紹介されている。
1980年代にアラン・ブルームが「アメリカン・マインドの終焉」を発表した時、アメリカばかりでなく、世界の読書人、大学人、知識人が論争に参加した。出版直後からこの本をめぐっては、賛否両論入り乱れた激しい論争が巻き上がった。しかし、その後の経過を眺めてみると、結局のところ、この本は気の毒にも「時代遅れとなった年寄り世代の愚痴」として片付けられたようである。この本のなかでブルームは本を読まなくなった現代の大学生を嘆き、古典を軽視し、ないがしろにする若者世代を怒り、教養を欠いた若者世代を慨嘆し、彼等のことを頭ごなしに叱っていた。多くの論評はブルームのことを「新しい変化に対する感受性を失った頑固老教授」というピエロに仕立てて、論争に決着をつけたように見える。
ところが今度のサックスの著書に向けられた反響は、不気味なほど静かである。この本が読まれていないのではない。かなりの人々が読んでいる。ところが、それをめぐる論議がなかなか起こらない。アラン・ブルームに対しては賛成するにしろ、反対するにしろ、多くの人々が大きな声を上げて論じたが、今回はそうではない。その理由はほかでもない、サックスの本は、現在の大学教師が胸に秘めている怒り、絶望、無力感、やりきれなさを、あまりにもリアルに語っているためである。論争しようにも、誰にも出口が見えていないからである。議論すればするほど、徒労感だけが残るからである。
サックスとはあくまでもペンネームで、実名ではない。ジャーナリストとして敏腕をふるい、いくつかの賞を受賞した経験のある人物である。彼が中年になって大学の教師に転進したものの、そこで何を体験したのか、それをきわめて率直に語っている。まず彼が驚いたのは、上記のような学生達のやる気のなさであり、それでいながら単位の安売り、甘い成績評価が横行する大学の姿である。とうていAに値しない成績にも、臆面も無くAがつけられている。とうてい合格点に達していなくとも、合格となる。
なぜ成績評価が甘くなるのか。その原因は学生による授業評価である。アメリカの大学で教師として生き延びるには、学生による授業評価が重要な要因となっていて、あまり学生の評価が低いと、昇進はおろか、教師のポストを確保しておくことができない。アメリカの大学教員はまずは任期つきの身分で採用され、研究業績、教師としての能力、学生からの評価を受けて、はじめて終身職にたどり着く。だから学生の評判のよくない教師は生き残ることができない。それだけではなく、あまり厳しく成績評価をすると、その大学、学部の人気が落ち、大学経営にかかわることになる。だから、もっと成績評価を厳しくするべきだと主張する教員達と、そんなことをしたら経営業績が落ちると、教師と学生の間に挟まれて、右往左往する筆者と同業の学部長も、この本には登場してくる。
日本でも最近あちこちの大学で授業評価が取り入れられているが、アメリカの大学ではかなり前から採用されていた。この学生による授業評価は、教師に対して無言の圧力を与える。成績評価の厳しい教師に対しては学生が仕返しに厳しい授業評価を与える。それがいやな教師はだんだん成績評価が甘くなり、Aを乱発するようになる。そこでサックスは有志教員とともにSOSなる組織を立ち上げる。SOSとは「セイブ・アウア・スタンダード・コミッティ」の略語である。つまりもっと大学の質的水準を守ろうという教師のグループのことである。
世間では授業評価ばやりで、いつのまにか、これを実施している大学は大学改革に熱心な大学、それだけ「学生のことを考えた教育熱心な大学」という世評が作り出される。授業評価導入の時には、決まって議論が分かれる。「学生の素直な反応を教師は真摯に受け止めるべきだ」「いや、やる気のない学生に私の授業なぞ評価できるはずがない。授業の内容で評価しているのではなく、その教師が好きか嫌いかで判断しているだけだ」「授業に自信のある教師は、授業評価など恐れない。現に私の授業では私語ひとつおこらない」「無記名のするアンケートに責任をもって答える学生がいない」「これは要するに大学経営陣の教員に対する恫喝である。教員評価をするぐらいなら、学長評価、経営陣評価を実施すべきである」。それこそ果てしのない議論が続く。
18歳人口の減少はいよいよ本格的な段階を迎え、どの大学も「特色」を打ち出す(お化粧直し)に懸命である。改革ブームのなかで、確実におきていることは、教師の多忙化であり、工場労働者化である。この動きをどこかでストップさせる段階が近づきつつある。