大学改革をめぐる現状と課題

高等教育研究所紀要「高等教育の展望と課題」所収

20043月刊行

桜美林大学 潮木守一

 

(若年失業と高等教育)


2003年3月の高校卒業者のうち、進学もせず、就職もしなかった者は、約13万人に達する。卒業生全体に占める割合は、10%に当る。また大学を卒業して、同じく就職も進学もしなかった者は12万人に登り、卒業者に対する比率は23%になる。OECDのデータによると、日本の若年失業率(15歳から24歳までの年齢層)は9%に達する。長年日本はOECD加盟国の中では、若年失業率の低さでは模範生とされてきた。しかしそれは1990年頃までの話で、現在ではほぼ9%近くまで上昇し、ドイツを超える水準にまで達した。欧米各国の若年失業問題を、あたかも対岸の火事として眺めてきた日本も、いまや先進国並みとなり、年々上昇を続ける若年失業問題に取り組まねばならなくなった。

高校を卒業しても就職先がないとすると、どうしたらよいのか。体力・エネルギー溢れる若者が、通うべき職場もなく、通うべき学校もなく、家庭のなかで無為の生活を続ける姿は、親も見たくなかろうし、周囲も見たくなかろう。就職先がなければ、しかたない、費用がかかるが、大学にでも通わせるか。こう親が考え、子供が考えるのは、ごく自然のことであろう。かくして大学には、就職を希望しながら、その目標を果たせなかった者が集まってくる。彼等には学びたい目標があるわけでない。しかし他に行くところがないために、大学に集まってくる。学習目標、学習動機の不明確な大学生を、大学はどう遇すればよいのであろうか。

もともと、この若年失業の原因は、日本経済、ひいてはグローバル経済の構造的変化に起因している。それは日本だけの現象ではなく、先進国共通の現象である。先進国では、生産技術の高度化の結果、労働生産性は急速に高まり、それほど多くの労働力を必要としなくなった。人類は長年の夢である「労働という苦役からの解放」を達成し、より長い自由時間を手中に入れた。問題は、この自由時間をどう配分するかである。現状では、この自由時間が均等に配分されているわけではない。その自由時間が集中しているのは、若年層と高齢者層である。その状態をもう少し詳しくみてみよう。

現在、先進諸国では、ほとんどの青年が18歳までは学校に通うようになった。これは半世紀前と比較すると、驚くべき変化である。義務教育終了後、中等教育へ進学する者の割合は、日本97.3%、アメリカ88.6%、イギリス86.0%、フランス96.8%、ドイツ97.6%となっている(文部科学省「教育指標の国際比較」平成14年度版)。つまり労働可能人口のうち、15歳から18歳までは、学校教育のなかに組み込まれている。ただし、すべての青年が、学校生活に満足しているわけではない。日本を含めて、どこの国でも「学校化された青年期」「学校という枠に封じ込められた青年期」に対する不満が、しばしば爆発する。しかしマクロ的にみれば、ともかくも18歳までの青年を学校のなかに囲い込むことに成功したことは、年々増加を続ける自由時間の消化方法としては、一定の効果を果たした。かくして中等教育の拡大が進行した。


しかし、いまや18歳までの青年層を、高校に囲い込んでいるだけでは不十分となった。その後の青年層をどうするかが、課題となりはじめた。後期中等教育を修了した青年層を、すべて吸収するだけのポストは、脱工業化の著しい先進国にはない。製造業の多くが、より安価な労働力を求めて、海外に流出してしまったためである。そこで後期中等教育の場合と同様、学習意欲、学習関心、学習目標の有無にかかわらず、彼等に残された最後の「社会的居場所」が、大学になり始めている。「就職できなかったがためのセカンド・チョイスとしての大学」「働きたかったのに、その場がなかったので、しかたなく選んだ大学」「労働の代替物としての学習」「職場の代替物としての大学」。今や先進国の大学は、こうした圧力にさらされている。

とくに大学入学選抜制度を持たず、高校卒の資格さえあれば、ほとんど無試験で入学できるヨーロッパ大陸の場合は、極めて深刻な状況にある。フランスの大学生数は過去40年間で、7倍に膨張した。第2図は、1960年から2000年までの各国の人口1万人当たりの大学生数の変化を示している。アメリカを例外とすれば、1960年当時は日本を含めて、どこの国も100人以下であった。ところが、2000年にはイギリス、フランスとも350名強、日本とドイツが230名前後の水準に達している。1960年当時、ヨーロッパの大学進学率は、同一年齢層の5%程度でしかなかったが、それが現在では日本の50%とほとんど同じ水準に達している。

いったい、この急速な高等教育の膨張の背景は、何だったのであろうか。そこにはさまざまな要因が働いたが、ここではその一つ一つを挙げることはしない。ここで注目するのは、1980年代頃から深刻化した若年失業問題であり、それが大学進学のプッシュ要因として作用したという事実である。日本と同様、欧米諸国では、主要な生産拠点が海外に流失し、その結果、青年層の雇用先が著しく減少した。この若年失業は、青年層の不満感をあおり、社会不安の種となった。それが民族対立の引き金となり、極右勢力の土壌となった。1984年にはドイツのミュンヘンでは、外国人労働者の排斥を叫ぶ「共和党」が結成され、同年フランスでの欧州議会選挙では、極右の国民戦線 (フロン・ナシオナル)が11%の得票率を記録した。職場にも学校にも居場所のない青年層は、酒場にたむろして、外国人排斥、暴力、犯罪、テロリズムの温床となり始めた。その彼等に何らかの社会的な居場所を提供するとなれば、学校しかなかった。工場、事務所の代わりに、青年層を大学に収容するしか方法がなかった。それは先進国に共通した現象であった。

しかし、この傾向は最近では先進国に限らず、発展途上国にも波及している。発展途上国ではもともと、青年層の大部分が慢性的失業、もしくは半失業状態にあるのが常態であった。ところが、都市中産階級が成長拡大するにつれて、これら中産階級の次世代(同時に高学歴層)の失業問題が社会問題化している。しかし、この現象に対する社会の目は厳しく、それは「中産階級の贅沢品」として批判の対象とされている(2003年11月、キャンベラで開催されたアジア社会科学研究評議会連盟隔年大会でのインド代表の発言)。つまり、下層階級の青年層は、働く意欲と必要性を持ちながら、やむなく労働と所得から排除されているのに対して、都市中産階級の青年層は、「身分に合った職」「学歴に見合った職」に固執し、それが見つかるまで失業を続ける。つまり「選択的な失業」、「贅沢な失業」、これがその特徴だという。

しかしこの論理を先進国に適用するならば、今や万人が中産階級となった先進国での若年失業とは、親の負担、あるいは社会の負担のもとで、若者が「失業という名の贅沢品」を享受していることになる。富の偏在は、一国内部だけで見るのではなく、国境を越えたグローバルな枠組みのなかで把握する必要が生じている。

このようにして、大学は今や「高等教育」の場であることを断念して、働くべき職場のない、それでいながら学習目標、学習意欲の定かでない青年層のための身の置き所となりつつある。そのためには、大学は「高等教育」に代わるものとして、何を提供したらよいのであろうか。ブランコ、滑り台、お砂場を用意して、待っていればよいというのであろうか。

ここに「カリキュラム改革」の必要性が生じ、「出入り自由な就学形態」、「いつでも、だれでも、どこでも学べる大学」などの改革課題が浮上することとなった。それとともに、これらの改革課題に応えるには、既成の教育主体では不十分で、株式会社、NPOといった新たな教育主体が必要だとする議論が登場することとなった。つまり、これまで学校(大学)の設立を、特定機関だけに限定していた制度を撤廃して、株式会社、NPOにも学校設置を認めるべきだとする議論である。「株式会社大学」「営利大学」「NPO立大学」、これらが変化の著しい時代に、より有効に対応しうる機関として、期待をもって語られるようになった。

 

(競争的環境の実態)

日本の高等教育の特色は、大きな私学セクターを抱えている点にあるとされてきた。公的セクターと私学セクターとの共存が、日本の高等教育を特徴とされてきた。しかしこうした構造が、今や既得権によって固められた官製市場と化し、競争市場として有効に機能していないという認識が、近年にわかに登場することとなった。平成13年12月11日総合規制会議は、「規制改革の推進に関する第一次答申」を発表し、そのなかで高等教育分野を「官製市場」と断定し、大幅な規制緩和・撤廃を求めた。

こうした総合規制改革会議の断定に対して、文部科学省、大学側がどう反応したのかは、関係者自身が証言すべきことであろう。ただ、弱小私学の一教員の立場からみると、「競争メカニズムの欠如」「官製市場」という把握は、あまりにも的外れな現状認識としか思えなかった。こうした感覚のずれを明らかにするためには、日本の大学が現にいかなる競争的環境に晒されているのか、その実態の一端を、書き記しておく必要があるらしい。

18歳人口の減少とともに、全大学を交えた熾烈な生き残り競争が開始されることは、すでに予想されていた。しかし、大学間競争といっても、そこには、大学ランキングに応じた目に見えないセグメントがあって、トップ大学相互の競争と弱小大学相互の競争とでは、競争の仕方が違う。トップ大学相互の競争は、競争といっても相手の命を絶つまで至ることはまずない。もっとも競争が熾烈化するのは、大学ランキングの下位に位置づけられた4分の3、もしくは3分の2の大学間(多くが私学)である。ここでは文字通り、食うか食われるかの生き残り競争が展開される。

1998年、大学審議会は「競争的環境のなかで個性が輝く大学」といったスローガンを掲げたが、弱小私学から見る限り、「今さら何を言うのか」という反感しか起こらなかった。18歳人口がピークを超えたのは、すでにこの答申が発表される5年前のことで、それ以来毎年、受験生の減少は恒常化していた。受験生減におびえる弱小私学からすれば、「競争的環境」は紙の上の話ではなく、現実そのものであった。さらに「個性輝く大学」というフレーズにいたっては、受験生集めのために、やたらに「個性」「独自性」「特色」「オリジナリティ」などのキャッチフレーズを乱発する弱小私学に対する皮肉としか響かなかった。いったい、この答申の執筆者は弱小私学の置かれた立場を知らないのかと、いぶかしく思えるだけであった。

それでは弱小私立大学が直面している「競争的環境」とは、実際はどういうものか。私立大学の入学者選抜は夏休みから始まる。高校生の夏休みを狙った「オープン・キャンパス」に、どれだけの参加者が集まるか、そこからゲームは始まる。弱小大学の悲哀は、その時から明らかになる。高校3年の夏休みの段階では、受験生の望みはまだ高い。弱小大学など選択肢の中には入っていない。そのオープン・キャンパスに集まってくるのは、はっきりいってひやかしである。そこで夏休みが終わるとすぐ、今度はAO入試が始まる。AO入試の受験生は、大きく2種類に分かれる。一つは一般入試に自信がないので、うまくAOに引っかかれば儲けものという感じで、面接会場に登場する受験生である。もう一方の受験生とは、その大学・学部のことを丹念に調べ上げ、「そういう勉強がしたい」という明確な選択動機を持ってやってくる受験生である。AO入試とは、こうした「受験生と大学とのお見合いの場」だと実感できるのは、後者のような受験生に出会った時である。

どの大学・学部にも、その大学・学部としての「理想」がある。しかしこうした「理想」が世間で通用することはほとんどない。高校の進路指導担当教員に、大学・学部の「理想」を語っても、「それで結局、就職率はどうなっているの」という質問で、会話のすべては終了する。しかし、ふだんは惨めな扱いを受けている「理想」が、にわかに生き返る場面がある。それがAO入試の面接会場である。受験生のなかには、入試案内、パンフ、ホームページなど、さまざまな媒体から、その大学・学部の特色、狙い、目標を詳しく調べてくる者がいる。「理想」を抱く者は、いつもその「理想」が理解されないという孤立感の中を生きている。そういう孤立感を拭い去ってくれるのが、AO選抜の面接会場である。こういう受験生に出会うと、高校の成績など、どうでもよくなる。しかし残念ながら、9月段階のAO入試で、あえて弱小大学を目指してくる受験生は、ごく稀である。

AO入試も空振り、推薦入試も空振り。いよいよ2月初旬のA日程入試から、入試の本番が始まるが、弱小大学であればあるほど、A日程では受験生が集まらない。その時期はおおかたの受験生が、国公立大学、大手私学を受験している。そこで山場となるのがB日程入試で、大手私学を目指したものの、志を果たせなかった受験生が、B日程に集まってくる。だからこのB日程入試が、生き残りを賭ける私学にとっては、命の瀬戸際で、この時、受験生が集まらないと、命取りになる。そのあと、C日程、補欠募集と、最後のあがきを試みることになるが、そのことがかえって、次年度の受験生動向にマイナス効果を及ぼすことになる。

しかしこのB日程入試も、どれだけの合格者を出すかが、分かれ目となる。あまり合格ラインを下げると、そのことが受験情報産業の集めるデータとして公表されて、次年度の受験生の水準を下げる結果を招く。そうかといって、あまり高い合格ラインを設定し合格者を絞り込むと、定員割れを起こす。この辺りは「かん」に頼るしかない。前年度の実績データなど、使えない状況が、すでに慢性化している。

合格発表後の心配は、いわずと知れた、入学手続を完了する者がどれだけになるかである。入学金納入者、入学金返還請求者などさまざまな出入りがあって、結局、入学式にならなければ、新しい年度の入学者は確定できない。いや、その時になっても入学者の確定は完了せず、入学式の会場から直接教務課に直行して、退学手続をとって行くものもいる。

要するに前年の夏休みから始まって、4月にいたるまで、緊張の日々が続く。これが弱小私学の置かれた「競争的環境」である。いったいこれ以上に、どういう競争をしろというのか。もしこれを「官製市場」というのであれば、「非官製市場」とはどのような市場をいうのか。(「競争的環境」の実情を語るには、枚数が何枚あっても足りないので、これまでにしておく)。

 

(総合規制改革会議からのインパクト)

平成13年12月11日、総合規制改革会議は「規制改革の推進に関する第一次答申」を発表した。その主旨は「生活者・消費者本位の経済社会システムの構築」と「経済の活性化」を目標として、「民間にできることは、できるだけ民間に委ねる」というものである。そのためには、まず規制の撤廃・緩和を図り、情報開示、監視体制の整備、セーフティ・ネットなどの新たなルールを作る必要があるとしている。なかでも規制緩和の必要な重点6分野を指定し、その分野での具体的施策が提案された。この重点6分野とは、「医療」「福祉・保育」「人材」「教育」「環境」「都市再生」である。「教育」の分野に関しては、「高等教育における自由な競争環境の整備」が上げられ、その具体的項目として「大学・学部の設置規制の準則主義化」「学科の設置の届出制への切り替え」「学部の設置等に対する抑制方針の見直し」「校地面積基準・自己所有比率規制の緩和」「工場等制限法の抜本的見直し」「制限区域における抑制方針の廃止」「第三者による評価認証制度の導入」などがあげられた。

翌平成14年12月12日には「規制改革の推進に関する第二次答申」が発表され、「民間参入の拡大による官製市場の見直し」「事後チェックルールの整備」などの基本原則のもとに、「教育主体の多様化」が主張され、「教育分野への株式会社等の参入」が提案された。つまり、「既存の公立学校や学校法人の改革を進めるとともに、外部からの新規参入者の拡大を通じて、主体の多様化を促進し、消費者の選択肢の拡大と主体間の競争的環境を通じた質的向上を図る必要がある」というのが、その主旨である。

周知のように、現行法規のもとでは、学校の設置者は国、地方公共団体、学校法人の三者に限定されている(学校教育法第2条)。総合規制改革会議の主張は、この他に株式会社、NPOにも学校設置の権限を認めるべきだとするものである。この主張の背後にあるのは、既存の公立学校、私立学校に対する不信感であり、さらにはこれら既存の学校設置主体による市場独占に対する不信感である。

この総合規制改革会議の「教育分野イコール官製市場説」を端的に表しているのが、「私立学校審議会の見直し」の提案であろう。現行私立学校法第10条は、この審議会の構成を、私立学校関係者が4分の3以上になるように定めている。各都道府県に設けられている私立学校審議会は、所轄庁が権限を行使する時(たとえば、私立学校の設置認可など)、関係者の意見を反映するために設けられている。具体的にいえば、私立学校を設置しようとする場合には、当該都道府県に申請書を提出するが、所轄庁は設置認可に先立って、あらかじめ、私立学校審議会の意見を聴かなければならない(私立学校法第8条)。つまり、新規参入者からみれば、それは設置認可の可否を決するゲイトキーパー役となる。総合規制改革会議が、教育市場を「官製市場」と断じる根拠は、ここにある。4分の3以上が、すでにその土地で営業している同業者によって占められた審議会に、同業者の新規参入の可否を審議させる仕組みが、すでに「官製市場」そのものだというのである。

問題は、いかなる経緯によって、この「4分の3条項」が設けられたのか、この条項が作られた歴史的な意義はどこにあったのか、いかなる歴史的な背景のなかで、この条項が設定されたのか、そのことが検討される必要がある。この検討作業は我々に、一つの言葉の意味が50年も経つと、どう変化するのか、歴史というものは、いかにして人々の営みの意味を変えてゆくのか、そのことを考える素材を提供してくれる。

そこで話は、この現在から約半世紀遡った昭和24年(1949年)に戻ることになる。現行私立学校法が成立したのは、占領下の昭和24年のことであった。この私立学校法成立の詳細は、大崎仁「戦後大学史」(1988年)、大崎仁「大学改革 1945〜1999」(1999年)に述べられている。そこには、当初、文部省は日本私学団体総連合会と緊密な連携・協力の下に法案の準備を進め、ついに昭和24年10月24日には閣議決定を見るにいたった経緯が書かれている。ところが日本私学団体総連合会と文部省との協力体制は、その直後に大きく破綻し、私学側は法案の内容が了解していた趣旨と異なるとして反対決議を行い、10項目にわたる修正削除を求めて、猛運動を展開したとされている。その修正要求はいずれもが文部省の監督権限の縮小をはかるものだったという。「結局私学側の要望が全面的に通って法案が修正され、国会に上程された。さらに衆議院において、私立学校法の規定が学校教育法に優先することを明らかにする修正が加えられ、私立学校法は成立を見た」と大崎氏は記述している。そして「私立学校法案をめぐる混乱の背景には、ここでも総司令部の介入があった。CIEは例によって文部省を外して私学団体と直接接触する道をとった。私学関係者としても、当時の最高権力者である総司令部との直接交渉は望むところであったろう。両者間にはかなり太いパイプが通じていたといわれている」としている。

大崎仁「戦後大学史」(1988年)は、さらに詳細にこの経緯を記述しているが、それを繰り返す必要はあるまい。要は当初の法案では、文部省は「監督庁」とされていたが、それが「所轄庁」に修正され、私立学校に法令違反があったときは、文部省に変更命令を下すことができる規定があったが、その規定は私立学校には適用されないこととなり(私立学校法第5条2項「学校教育法第14条は、私立学校に適用しない」)、私立学校審議会の構成は、当初、3分の2以上とされていた私学関係者の比率が、4分の3以上に修正されることとなった。「この結果、私立大学は、一度、大学、学部、大学院の設置認可を受ければ、校長の届出、調査、統計等に関する報告書の提出以外は、閉鎖命令、解散命令の対象となるようなよほどの大不祥事を起こさないかぎり、その運営については、文部省の干渉は一切受けないことが法的に保障されたことになる」と、大崎氏は要約している。

これに対して、私学団体側は、この私立学校法を「私学関係者の発意に基づき立案されたもの」「この法律の骨子と原理はすべて私学の主張によるものであったことは、本法律の特色であり、また銘記すべきことである」「ひとえに私学の法的地位の改善を目的としたもの」と評価した(日本私学団体総連合会史)。

戦前期の文教行政の苦い体験を思い起こせば、「官僚支配からの脱却」、「官僚統制の終焉」は、まさに私学の悲願であり、昭和24年、1949年という時代環境は、その目標達成にとって、絶好の機会だったのだろう。その当時の「官」とは文字通り、「文部省のもとでの官僚統制・官僚支配」のことであり、この私立学校法に盛り込まれた私立学校審議会の構成原理(4分の3条項)、学校教育法第14条の適用除外条項こそ、私学の自主性、自立性を保障する象徴的な規定であった。ところが、それから50年以上の歳月が流れ、「官」の意味は逆転した。今や「学校法人による自主的管理」が「官製市場」として糾弾され、批判される時代を迎えた。

 

(2002年11月の学校教育法改正)

平成14年11月、学校教育法の一部改正が行われた。その改正の要点は、以下の4点にあった。

1.専門職大学院制度の創設

2.設置認可制度の見直し

3.第三者評価による大学評価制度の導入

4.違法状態の大学に対する是正措置の整備

その当時、人々の関心を集めたのは、専門職大学院の創設(より具体的には法科大学院創設の根拠とするための措置)と、第三者評価による大学評価制度の導入であり、他の2項目はさして世間の注目を集めなかった。「設置認可制度の見直し」は、それまで一律に認可が必要であった公私立大学等の学部等設置を、一定以上の条件を充たしていれば、届出で済むことにしたものである。それはそれまでの規制緩和路線上のもので、特段の関心を呼ぶものではなかった。

問題は第四の「違法状態の大学に対する是正措置の整備」であるが、その具体的な内容は「現行制度上は法令違反等の場合は、閉鎖命令の措置しかないものを、文部科学大臣が、法令違反の大学に対して、改善勧告、変更命令、学部等の組織の廃止を命ずる措置を、段階的に講じることができるようにする」ものであった。これこそ、まさに私立学校法第5条第2項を削除するための法改正であった。つまり、この改正によって、私学はその「特権」を失い、他の公立学校と同格となった。

この2002年11月の学校教育法改正に至る経緯を理解するためには、その前年から引き続いていた一部私立大学を舞台として発生した「不祥事」と、それをめぐる国会での議論を見る必要がある。ことの発端は2001年6月に報道された、ある私立大学の寄付金問題と、ある私立短期大学での留学生問題にあった。事件の詳細は当時の新聞記事に譲ることとして、議会が問題としたのは、違法状態にある私立大学に対して、所轄庁としての文部科学省の権限がどこまで及ぶのか、という点にあった。各党議員が問題とした事項を要約するならば、以下のようになる。(1)違法状態にある私立大学を文部科学省が見逃しているのは、何ゆえなのか、(2)なぜ文部科学大臣はしかるべき措置をとらないのか、(3)私立大学のなかには多額の株式を保有している大学があるが、それらの資金の出所はどこなのか、よもや税金を原資とする私学助成金ではあるまいが、それを確認せよ、などであった。

当時の文部科学大臣は、これら議員の質問(追及)に対して、一貫して文部科学省の権限の限界を指摘し続けた。一例だけ引用するならば、2002年7月3日の衆議院文部科学委員会において、文部科学大臣はこう答弁している。

「私立学校が法令の規定に違反した場合などには、学校教育法それから私立学校法等にのっとって、学校の閉鎖命令や学校法人の解散命令を行うことができるわけでございますが、指導監督権限から一気に閉鎖命令あるいは解散命令に飛ぶわけでございます。こうした規定につきましては、学校あるいは学校法人そのものの廃止を求めるということに至る場合には、それは重大な法令違反であって、またその他の手段による適切な管理運営の回復が不可能と判断される場合などに限られておりまして、その適用については、十分な調査の上で対処する必要があるわけでございます。」
 要するに、文部科学省に認められているのは、最後の手段ともいうべき学校の閉鎖命令、学校法人の解散命令のみで、それに至るまでの段階的な措置が取れないようになっている。この問題についての論議は、文部科学委員会のみならず、他の委員会でも繰り返しなされているが、文部科学大臣、文部科学省は、一貫して繰り返し、私立学校法第5条2項の「学校教育法第14条は、私立学校に適用しない」という条文をもとに、文部科学省の権限の限界を指摘している。これが2002年11月の学校教育法改正へとつながった。

その結果、私立学校法第5条2項が削除され、私立大学に法令違反のある時には、是正勧告、それに引き続き、変更命令、組織の廃止、そして最終的措置である閉鎖命令に至るまでの「段階的な是正措置」がとれることとなった。

この学校教育法改正案が審議された2002年11月23日開催の文教科学委員会では、議員と文部科学大臣との間では、次のような質疑応答が交わされている。

議員「違法状態の大学に対する是正という問題に対して、文部科学省もこれはいかぬということで立ち上がったのかな、今回の法改正につながったのかな、党内議論でも今回の法改正で、それなりの対応ができるようになるという理解があるんですが、文部科学大臣にまず冒頭、この法令に違反する大学等の是正という面で、今挙げたような問題に十分に対応処できるとお考えの上で今回の法改正を出されたのか、その辺ちょっと最初に確認をさせていただきたいと存じます。
文部科学大臣 御質問に対して誠実にお答えをして、ぜひとも賛成をいただきたいと思います。
 第一の御質問でございますけれども、違法の状態にある大学に対する新たな改正の内容というのは十分であるかという御質問でございますけれども、違法状態にある大学をそのまま放置するということは許されないところでございます。
 ところが、現行法に与えられた権限といいますのは、法令違反状態の私立大学には閉鎖命令をかける以外に是正手段がないわけでございます。しかも、これは大学全体に対する是正命令でございまして、部分的な組織についてやることもできない。
 そのようなこともございまして、今委員がお挙げになりましたようないろいろな問題がある大学に対して、一体どうやっていくかということでいろいろ議論をいたしまして、これは中央教育審議会においても御議論をいただき、また私学関係者の御賛同も得て今回の改正に踏み切ろうとしているわけでございます。
 今回の是正措置の導入は、違法状態の大学にいきなり閉鎖を命ずるということではなくて、大学の自主性、自律性を踏まえながら、段階的で緩やかな是正措置を設けるということでございます。それによって、改善措置を見ながらまた次の是正措置を必要があれば求めていくということによりまして、大学の教育研究水準の確保の機会を整備していこうというものでございまして、しかも、実際の適用に当たりましては、大学の教育研究の自由に配慮をいたしまして、あらかじめ関係審議会への諮問が義務づけられておりまして、適正な事前手続の保障も配慮しているところでございます。
 そういうことで、今回の法改正が成立いたしますれば、私は、これまでの違法状態の大学を是正するにおいて必要な手続をとり得るものというふうに考えております。」

 

(法改正後の反響)

この法律改正が成立したとき、ある私学関係者はこう語った。「私学は先人達がやっとの思いで築き上げた私学の自主性、自立性を一挙に失ってしまった」。また、日経新聞横山晋一郎記者は民主教育協会編「現代の高等教育」2003年1−2月号の「取材ノートから」のなかで、次のように報じた。「文部科学大臣は、法律違反の公私立大学に、改善勧告、変更命令、組織廃止命令を出せるようになる。国は私大に対し、これまでにない巨大な権限を手にしたのである。この時期に前後して、たまたま何人かの私大幹部に会う機会があった。しかし法改正に対し、自ら批判や不満を口にした方は一人もいなかった」。また文部科学大臣も、先に引用した国会答弁のなかで、この法改正は、私学関係者の賛同も得て行ったと答弁している。

 その頃、筆者の耳に届いたのは、段階的是正措置導入を求めたのは、議会、文部科学省よりも、むしろ私学側だったという話であった。もちろんは、これは単なる伝聞で、確たる証拠があるわけではない。事の真相はいずれ関係者自身が明らかにすることであろうが、しかし、もしかしたらそれは事実だったのではないかと筆者には思える。そう推論する根拠は、1949年、私立学校法が成立した頃の私立大学と、2002年の私立大学とでは規模も違うし、構成も違っているという事実である。一口にしていえば、1949年当時の私学には、私学としての一体性、連帯性を持ちえたが、それから50余年過ぎた2002年には、すでにその基盤が失われたというのが、筆者の見方である。過去50余年間には、さまざまな私学が新たに加わった。かつては、「官僚統制」に抗して、学校教育法第14条の適用を排除するだけの一体性と連帯性があったが、2002年にはもはやそれが失われていた。もしかしたらそれが「私学側からの賛同」の理由だったのではないかというのが、筆者の推定の根拠である。かくして私立学校は、公立学校とともに、学校教育法第14条の適用を受ける対象となり、私立学校の特権は失われた。文部科学省は1949年の閣議決定の線にまで戻すことに成功した。これをもって、文部科学省の「復権」とみるか否かは、今後の課題であろう。

このようにして、私立学校法第5条第2項問題は決着を見たが、総合規制改革会議が提起した私立学校審議会、大学設置・学校法人審議会の構成問題は、本論文執筆時点ではまだ決着していないらしい。平成14年12月12日に答申された「規制改革の推進に関する第2次答申」によれば、平成14年度中に検討・結論をだすこととなっているので、いずれ結論が出されるのであろう。

これに対して、総合規制改革会議が高等教育分野について求めた、大学の設置認可をめぐる規制緩和は、さまざまな形で実行に移されている。またある部分は、構造改革特区に限ってではあるが、実行に移されている。ただ、議論が錯綜しているのは、株式会社の教育分野への参入問題であろう。これは単に国、地方自治体、学校法人の他に、株式会社という新たな学校設置主体を認めるだけでなく、これら株式会社立学校と学校法人立学校とのイコール・フィッティング問題が絡んでいる。つまり、株式会社立大学も学校法人立大学とともに、私学助成の対象にすべきだという主張である。

まず前者に関しては、すでに構造改革特区に限って、株式会社による学校設置が、学校教育法の特例措置として認められることになった。つまり、「 地域の特性を生かした教育の実施の必要性、地域産業を担う人材の育成の必要性などの「特別なニーズ」がある場合」に、株式会社による学校設置が認められることとなった。また学校設置の要件としては、1.学校の経営に必要な財産を有すること、2.学校の経営を担当する役員が、学校を経営するために必要な知識又は経験を有すること。3.役員が社会的信望を有すること、が求められている。また、それに必要なシステムとして、1.学校を設置する株式会社は、業務及び財務に関する情報を公開する、2.特区認定を受けた地方公共団体は学校の評価を行い、これを公表する(高等教育は、認証評価制度を活用する)。3.特区認定を受けた地方公共団体は、学校が破綻した場合のセーフティ・ネットを構築することが定められている。

また設置認可の手続としては、現行の大学設置基準に基づく設置認可を受けることが必要とされている。いいかえれば、現行大学設置基準の個々の条文は、現在もなお改正される可能性があるが、株式会社による大学設置もまた、現行大学設置基準が適用されることになっている。

残る問題はイクオール・フィッティング問題である。つまり、これら株式会社立大学もまた、私学助成の対象となりうるか否かという問題である。先にも述べたように、今回構造改革特区で認められた株式会社立の大学は、私立学校振興助成法の対象外とされ、私学助成の対象とはならなかった。しかしこの問題は、果たしてこのままで終息するのであろうか。これまでの議論の流れのなかでみる限り、そこにはいくつかの火種が残されているように思える。

まず第一に、株式会社という組織の性格をめぐる問題がある。改めて述べるまでもなく、利益追求を目的とする営利法人は、利益を上げて、その果実を株主に配分することに、その存在意義がある。これに対して、学校法人の場合には、たとえ余剰金が生じても、それは必ず基本金に組入れることになっており、役員間で分配することは認められていない。つまり資金が教育・研究分野以外への流出しない仕組みとなっている。ここが学校法人と営利法人との決定的な違いである。

株式会社立大学の場合には、株式会社である以上、株主がいるはずであり、彼等に対して配当が支払われるはずである。そうでなければ、株主は集まらない。その株式会社が経常的に機関助成を受けることは、いいかえれば、右手で株主に配当を支払いながら、左手で税金を原資とする私学助成を受け取るのと同じことである。これを正当化する論理は、はたして存在するのであろうか。納税者の立場からすれば、株主へ配当するだけの余裕があるなら、私学助成を停止すべきだという声が起こることであろう。株式会社と学校法人とは、そこが違う。

第二に、株式会社立大学の採算問題がある。周知のように、学校法人には税制優遇があり、法人税、事業税、都道府県税、市町村税、不動産取得税、固定資産税、都市計画税、事業所税などをはじめ、さまざまな課税が免除されている。それに対して、営利法人である株式会社は、このような税制優遇の対象にはならない。ここに、果たして株式会社立大学が採算ベースに乗れるかどうか、疑問視される根拠がある。株主配当、租税という学校法人ならば負担しないですむ経費を負担した上で、なおかつ学校法人と競争するのであれば、相当高額の授業料を設定しなければなるまい。また学習者・消費者の立場からすれば、それだけの高額授業料を投じても、採算がとれる教育内容(資格内容)でなければ、入学者はあるまい。問題は要するに、それだけの教育プログラムを発掘できるかどうかだけである。つまり、採算がとれるかどうかは、教育主体として株式会社が適格であるかどうかという議論とは、無関係である。採算ベースに乗るまいという前提に立って、株式会社の教育主体からの排除を主張することはできない。

ただ、消費者(学習者)の立場からこの問題をみれば、別の論理を立てることが可能であろう。同じ高等教育を受けるのに、なぜ国公私立大学よりも高い授業料を強いられるのか、当然な疑問が学習者・消費者のなかから生じよう。もしこの授業料負担の不公平感を解消しようとしたら、機関助成(株式会社への直接助成)ができない以上、個人助成(学習者個人への直接助成)の方法をとるしかない。しかし、もしそれを実施するとなると、学校法人立大学に対しては機関助成、株式会社立大学に対しては個人助成という二重の制度ができあがる。果たして、このような二重制度が認められるのであろうか。その時には、機関助成という現行私学助成制度そのものが、議論の対象となる可能性がある。ここでは枚数の関係で、機関助成、個人助成の二分法で議論をしているが、両者ともさまざまな形態があり、それぞれに固有の長短があることは、いうまでもない。

このように考えてゆくと、ここにはかなり複雑な問題が控えているように思える。ただ断っておくならば、筆者は株式会社立大学が不要だとか、株式会社立大学への公費助成は非だと主張する意図は、もうとうない。筆者の立場は、可能性のあるものは、まず実行してみて、その成果をみるべきだという、ごく単純なものである。その意味で構造改革特区で開始された実験は、注目に値する。いずれ結果がでるのであろうから、それを大いに参考とすべきであろう。

(新たな教育市場の登場?)

小論の冒頭に立てた問題設定に戻ることとしよう。これからの大学が直面する課題は、学習目標、学習意欲、学習動機の面で、各種各様な学生に対して、いかなる学習形態を用いながら、いかなるカリキュラムを提供したら、彼等の満足度を高め、社会的要請に答えることができるかという課題である。総合規制改革会議は、既成の教育主体では、こうした新たな需要、新たな環境変化に対応しきれないという観測から、新たな教育主体の創設を目指した。既存の教育主体に、まったく対応能力がないかどうかはともかくとして、構造改革特区を設定し、そこで新たな試みを試してみることは、じゅうぶんに価値がある。

現代の特徴は、各種の既成の境界線が溶解し始めたことにある。学校、企業、家庭、市民社会の境界線は、相互に弾力的になり始めた。一例を挙げれば、18歳までの青年層を教育システムのなかに込み込むことに成功した先進諸国では、今や、高等教育機関への入学者の背景、経験、年齢、経歴は多様化してきている。つまり、大学入学以前に、そして大学在学期間中に社会体験、労働体験をする者が増加している。そのことを端的に示す指標は、大学入学年齢の多様化である。OECDの統計によると、オーストラリアでは大学新入生の20%が、27.4歳以上の者で占められているという。さらに、デンマークでは27.9歳以上、アイスランドでは28.5歳以上、ノルウェーでは29.6歳以上、スエーデンでは実に32.1歳以上の新入生が、全体の20%を占めていると報告されている。

またアメリカのワシントン大学では4年で学士号をとる者は、わずか22%、ハーバード大学では学士号をとる前に、25%の学生が休学しているという。これはルーズな学生生活の結果というよりも、それだけ多くの学生が、学生時代に海外体験、インターン、ボランティア経験、他大学での学習などを経験するためだとされている。つまり、大学はその入り口が多様化するとともに、その学習のプロセスも多様化しはじめている。大学と外部社会との境界線が、溶解してきた証拠であろう。

日本の最近の雇用状況をみても、終身雇用制、年功序列型賃金制は崩れ去り、全体の3割は、パート職員、派遣職員、アルバイトなどの、非正規職員で構成されているという。急速な技術進歩、新たな職業知識の増加などを考慮すると、18歳以上の教育訓練段階は、学習内容においても、学習形態においても、学習期間においても、多様化することになるのだろう。イーラーニング、モヂュール学習、短期留学、体験学習、インターン、リカレント教育、夜間開講、週末開講、サテライト教室、貸しビル教室など、大学教育のさまざまな道具立てが登場してきている。それらをいかに組み合わせたら、消費者のニーズ、社会のニーズ、時代のニーズに応えられるかが、これからの大学に求められている。

最後に、すでに枚数が尽きようとしているので、詳しい議論できないが、重要な課題としてグローバリゼイションからのインパクトがある。人、物、情報などが、国境を越えて移動するグローバル化された時代には、学歴、学位、資格の国際的標準化の必要性が生じ、その前提となるカリキュラム内容・水準の国際標準化が課題となる。これまで国内制度として成立してきた教育システム全体が、国境という枠を超えたグローバルな環境のなかで、再調整を迫られることを意味している。その実例はすでにEU加盟国でおきている。つまりこれからの大学にとっては、国内市場という環境変化への対応ばかりでなく、グローバルな環境変化にも我が身を合わさなければならない。いったいどのような教育主体が、新たな環境変化に対応できるのか。教育主体の多様化のなかで、一つ一つの教育主体の優劣が検証される時代が到来した。(以上)